自己受容と自己肯定の違い
よく、悩みがある人や行動しようとしてるのに出来ない人に対して
自己肯定をしろ
と、声をかける人が居るのを見かけます。
その度に僕は
『本当に自己肯定をする様に伝えていいのか?』
と、毎回思っています。
もし僕なら《自己肯定》ではなく
自己受容
を勧めます。
何を勧めるかは個人次第だと思いますが、その前にまずは勧めたものの説明をすべきだとも思っているので、以下の順で説明します。
1.自己肯定
2.自己受容
3.自己受容の上で大事な考え方
1.自己肯定
自己肯定とは、
一種の自己暗示
だと僕は思っています。
自分ができない事を出来ていると思い込んだり、
自分が失敗したとしても、それをたまたまだと思ったりあたかも成功だと思い込む考え方になるからです。
この自己肯定の考え方では
傷付かずとも成長もあり得ません
自分の欠点に気付くチャンスを投げ捨てているから。
だからこそこの考え方は
悩みの根本的な解決にはならず、悩みを悩みとして感じない様にするための自己暗示です。
2.自己受容
自己肯定とは違い、自己受容では
自分が出来ない事は出来ないと受け入れる
ことが重要になります。
簡単な例を挙げて説明すると
仕事で失敗した時
今回はたまたま失敗した
だとか
評価の仕方が悪い
と考えてあたかも自分を正当化するのが自己肯定で
自分がミスした事を受け入れるのが自己受容です。
この場合、自己肯定では自分が正しいと思うため
自分の欠点が見つかることはありません。
しかし、自己受容では
自分のミスを精査することで成長の余地がある。
そんな考え方になっています。
3.自己需要の上で大事な考え方
自分の欠点をを受け入れ、出来ない事を知る
そして、改善を図る。
これが、自己受容の上で大事になってきますが
人生において、
どうしても改善することができないこと
ってありますよね?
これについて以下の事を知らないと、出来ない事に必要以上に悩み、ひたすら劣等感のみを感じることになります。
ではその知らないとならない事とは
ズバリ
改善できる事と改善できない事を区別する
です。具体的に説明します。
例えば僕自身、お世辞にも滑舌がいいとは言えません。
さてこの時、どう考えるのか
まずは、滑舌が良くない事を自分自身で認め、その上で改善策を探るわけです。
その上で、何を改善したらいいのか
滑舌が悪い人は、滑舌がいい人に比べて骨格が悪い場合ありますよね?
これはもうどうしようもない事なので、そこは諦めます。
何も考えずにただ滑舌の悪さで悩むと、最終的にここで諦めてしまうと思いますが、
自己受容をして、骨格が悪いのを受け入れた上で
苦手な音を繰り返し練習する
だとか
発音の仕方を改めて調べる
など、改善の余地は大いにあります。
要するに、
自分の欠点を精査した上で改善できるものと改善できないものを区別して、改善できる事をとことん努力する
ことが、自己受容の上で重要になってきます。
生まれた時点で与えられたものを正しく受け入れ、その中で最大のパフォーマンスを目指す
カッコよくないですか?