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教員の待遇改善が国を繁栄させ
セルビアの教員は地方公務員であっても、副業可能です。
学校の授業が終わると「仕事あるんで、じゃあ!」と言ってさっさと帰ってしまう先生がほとんどです。
ブータンの私立学校にいた時も、家業の工場や小売店を営みながら教員を兼業していた先生がたくさんいました。
決められた時間にさえ職務に専念していれば、あとの時間はご自由にどうぞといったところです。
職務に専念と言っても、日本に比べて休憩の時間や頻度は多く、先生たちに心の余裕を感じます。
その余裕が生徒たちに伝わるのか、休憩時間は教師と生徒が楽しく会話したりスポーツしたり、学校全体に平和で牧歌的な雰囲氣を感じます。
先生たちは職場環境やフレキシブルに働ける制度のお陰で、精神的な病氣やミスマッチが理由の退職がほぼほぼありません。
教える側の先生たち(サプライサイド)の待遇が良くなければ、質の良い教育を子どもたち(デマンドサイド)に提供できないとの前提が存在しています。
一方、日本はデマンドサイドについて語られることはあっても、サプライサイドについて議論されることはほとんどありませんでした。
ここ数年でやっと、教員の働き方改革や残業代に代わる義務教育特別手当のアップの議論が始まりましたが、現場で働き方が改善したと感じている教員は、少なくとも僕の回りにはいません。
日本の教育界ではこれまで、指導技術の向上、授業研究、教材開発、産業界・政界から要請される◯◯教育(金融教育、キャリア教育、国際理解教育、主権者教育、心の教育⋯)など、
子どもたちの学力向上と人格形成のために、古今東西あらゆる学校や教育団体で実践され、子どもたちにも還元されてきました。
しかし、肝心のサプライサイドの教員に負荷がかかり過ぎ、その上保護者や地域からの苦情相談、増加する発達障害の子どもへの対応に追われ、
普段の授業の準備をする時間もなく、やむを得ず深夜残業や休日出勤し、身体か精神、もしくはその両方を壊して休職、退職するという教員が後を経ちません。
結果として、教員不足となり現場はますます疲弊し、優秀な学生は教員になることを避け、質の悪い若手教員が増加するという悪循環に陥っています。
こんな環境の中で、どんな素晴らしい研究や実践を行っても、深まらないし広がりません。
みんな目の前の子どもを安全に過ごさせ、怪我なく無事に下校させるだけで精一杯なのです。
これでは日本全体の教育の質が落ちることは言うまでもありませんが、教育の質が落ちることによって国民の質も下がっていき、ひいては国の衰退へとつながっていくでしょう。
日本が今やるべきことは、教員の待遇改善です。
教育無償化も反対はしませんが、持続可能な国の成長や繁栄という視点から見ると効果は限定的です。
Google、Facebook、Amazonなどの世界的な成長企業は、サービスを提供する側の従業員に対して徹底的にフレキシブルな環境を与えています。
その方が生産性と業績が上がるからです。
サプライサイドへの投資が、実は最もリターンが大きいという市場原理をよく理解しています。
セルビア人やブータン人のような余裕と、日本人の緻密で真摯な国民性が合わさると、素晴らしい学校ができると思います。
まずは「教員の待遇改善=国の繁栄を決定づける」ということを、数多くの人に知って欲しいと願っています。