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『肌寒い朝に 冷めたコーヒーをすすりながら ひたすらに後悔した』/ペンダント



ペンダントをなくした。
大切なひとからの贈り物だったのに。


首元が寂しいことに気が付いたのは、布団から出て部屋の肌寒さに身震いしながら、トイレに行った帰りだ。
洗面所で手を洗っている時に、ふと鏡に写った自分の姿に違和感を覚えた。
あっと思って、自分はすぐに寝ぼけた頭をはたらかせ、昨晩のことを思い出す。


昨晩は、Aと終電間際まで飲んでいて、アパートの自室に戻ったのは、とうに日付を超えた深夜のことだった。
そんなに遅くなってしまったのは、自宅の最寄りのバス停を通る最終バスを逃してしまい、仕方がなく、夜露も凍るような寒空の下、20分ほどの道のりを徒歩で帰るはめになったせいだ。もちろん、夕方までは仕事をしていたわけで、帰りつくころにはすっかりくたびれてしまった。
部屋に入ると、急に緊張がゆるんだのか、単純にお酒をたくさん飲んだからなのか、強烈な睡魔が襲ってきた。明日は休みだ。少しくらい怠惰をはたらいてもばちは当たらないだろう。服を脱ぎ散らかし、数秒だけ適当にシャワーを浴び、水気をすべて取り除かぬままに下着とTシャツだけを身に着け、そのまま布団へ埋もれた。毛布の柔らかさが素肌を包んで心地よい。そうして、以降の記憶がない。


いつ、なくしたのだろう。洗面所に立ち尽くしたままやるせない気持ちになる。飲み屋でトイレを借りたときには、まだ首元で輝いていたはずだ。酔っぱらってふらふら歩いていた帰宅途中に落としてしまったのだろうか。
冷え切った部屋に暖房をつけ、温かくなるまではと思い、再び布団に潜り込む。白い壁紙が無表情に貼られた天井を眺めながら、からっぽの首元をなでた。鎖骨の凹凸と、少し冷えた自分の肌を、左手の人差し指と中指が無意味に行き来する。
昨日までは確かにあった、やさしい重みが消えている。
これまで意識したこともなかった、ペンダントのかすかな重みが、なくなったと意識した瞬間、非常に質量をもって自分の中に存在していたのだと思い知らされてしまう。まるで身体の一部を突然ぽっかり抜き取られて喪失したような、言い知れない虚無感に襲われる。


元来、寝起きが悪い方だというのに、意識は冴えるばかりだ。ため息をつきながら、右手だけを窓へと伸ばし、べったりと夜を張り付けたような黒く重たいカーテンを開け放った。
真っ白なまばゆい光が部屋に差し込むものと思ったが、あいにく曇天の空模様で、分厚い鼠色の雲が太陽を隠して地上への光を遮っていた。今にも自身にため込んだ水分量に耐えきれなくなり、大粒の雨を降らせそうだ。
自分はどんよりとした気持ちのまま、背伸びをして起き上がる。
暖房の効きがよくないようで、未だに部屋は肌寒いままだが、とうてい穏やかな二度寝を貪るような気分でもなかった。


リビングへ行くと、昨晩の自分が脱ぎ捨てた服や荷物が散らかし放題になったままだったので、黙々と片づけていく。
一縷の望みを抱いて、服のポケットや鞄の中に誤ってペンダントが入っていないか入念に確認するも、徒労に終わった。
そのかわりに、コートのポケットから身に覚えのない缶コーヒーがでてきた。もともとは暖かいホットコーヒーだったのだろうが、飲みもせぬまま一晩放置されて、朝の冷気にあてられてひんやりとしている。酒に酔った自分が、のどが渇いて購入したまま飲むのを忘れていたのか、はたまた徒歩20分の道中、カイロ代わりに道端の自販機で購入したのかもしれない。
大切にしていたペンダントをなくしたショックで、とくに食欲も湧かないので、朝食代わりに飲むにはちょうど良い。缶コーヒーのプルタブを開けながら、ぼんやりと椅子に腰かけた。


あのひとと離れて以来、毎日のようにあのペンダントを付けていた。
自分の誕生日の日に、おめでとうと言って渡してくれたものだった。
あのひととのよすがを感じたくて、手放せずにいたペンダント。
もしかしたら、チェーンの留め具が甘くなっていたのかもしれない。
何かの拍子に、首元から外して、どこかに置き忘れてしまったのかもしれない。


冷たくなった缶コーヒーをちび、と口に含むと苦かった。
ラベルを見ると、無糖だった。
普段は加糖派だが、今朝はその苦さが、涙を枯れさせてくれるような気がして、ありがたかった。
ぱらぱら、と屋根を打つ雨音が聞こえだす。空に漂う灰色の雲たちはとうとうこらえきれなくなったようだ。
規則的で断続的な雨音と、効きの悪い暖房の音だけが、肌寒い部屋に響く。


ペンダントは、今頃この雨に打たれて濡れてしまっているだろうか。
控えめで小ぶりなチェーンの先に、一粒の光を集めたようにまばゆく輝くチャームも、今に薄汚れてしまって、道路の脇の雑草に浸食されてしまうのだろう。

そうして、きっと誰からも忘れられてしまうのだ。
自分を嫌になって去った人を、いつか忘れるように。





/ワンドロメーカー、創作お題スロットより
2021/05/28 ゆかり

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