なぜこんなにも生き辛いの?この生き辛さの要因は何だろう?


記事を読んでいる人の中に、生き辛さを抱えている人はいませんか?
なんか私は周りの人とは違う。なぜか職場や学校でうまくいかない。なぜ周りの人は普通に生活しているのに、私だけこんなにもしんどい思いをするのだろう…
 そんな自分も生き辛さを抱える一人で、自分でも努力したし、何度もカウンセリングを受けたものの、改善されることがなかった。それは自分には別の要因があったからだ。
 ここでは自分の体験談を踏まえて、多くの生き辛さを抱えている人の参考になれば幸いです。

気が付いたきっかけと悩み

 私は社会人になってから、不注意や確認や報連相が不十分など、様々ミスが重なり、自分でも自己啓発本やネット、カウンセリングなどで様々調べたが、根本的な要因は特定できなかった。
 そんなある日、職場の経営者の方から「発達障害があるのではないか?」といわれたことがきっかけで、自分でも気になり様々調べてみた。すると発達障害のADHDに当てはまるところもあるが、当てはまらないところもあり、アスペルガーの兆候も当てはまる部分もあれば、当てはまらないところもあり、判断が微妙であり、はっきりしなかった。

 自分の長年の悩みは、①作業が正しく完了せず、後で振り返ったり、指摘されたことで初めて気が付く、②言われたことはできるが、それ以外や前後の流れを考えられない、③独りよがりの行動、自己中心的な行動になり、周りの方に迷惑をかける、④前後の状況や他者の状況を理解せず、自分が思った行動をしてしまう、⑤相手の意図をうまく組むことができず、ニーズに沿った対応や気遣いができない などがある。

 これらをはっきりさせるためにカウンセリングを受けたが、そこでは一度精神科で心理検査を受けたほうが良いと勧められた。カウンセリングでは特に自分の特性について「作業に集中すると、周りの物事や人が見えなくなるのでは」といわれたことで、まさしく的確に言われた。

 自分の特性上、どうしても一つに集中することはできるが、それだけ・言われた仕事だけで、途端に前後の状況や周りの状況、周りの人が意識に入らなくなり、目には見えているが全くわからなくなってしまい、後で指摘されたり、冷静になって振り返ってみると初めて気が付くのだ。作業している最中にはそのような結果になることは全く想像していない。

 また、他者とのコミュニケーションにおいて、周りの状況を気にせず、一方通行で話してしまうが、これも周りの状況が見えなくなってしまうと同時に、意図をくみ取るのが苦手だったり、悪気は一切ないが、その後の状況を悪化させたり、怒られることが何度もある。

 これらが続く状況に対して、さすがに意識が足りていないだけ、不注意なだけではない、そもそも理解できない”何か”があるのではないかとも考えていた。それは何度も似たようなトラブルで悩んできたし、自分なりに努力したり、何度もカウンセリングにて過去のトラウマやプライド崩し、過去の傷を改善してきたが、これらの状況は一向に解決されないからだ。

 そのため努力不足や不注意ではない全く別の特性があるのではないか?その点はカウンセラーさんにも、「何度も努力しているし、頑張って生活しているし、自分を分析し、客観的に見える能力があるのに改善されないのは他の要因があるのでは」といわれている。

 今日は単に「努力不足や不注意なだけが原因ではない」といわれたことに安心感があり、妙に納得できた。要因は自分の努力の問題ではなく、自分の特性、性質の問題だとはっきりしたためだ。そのためできないことを責めたり、改善するように無理に努力するのではなく、できないことを”できない”と受け入れることが必要ではとアドバイスもいただいた。

 つまりこれらの自分の要因は、自分の不注意や努力で改善される問題ではなく、構造的な、特性的な問題だとはっきりわかったのだ。特性だからあきらめもつくし、問題点がはっきり見えてくるし、より他者と協力しながら進めていく必要性を確かめられた。

これだけは伝えたいこと

 自分の特性について、単純に努力不足や、不注意、経験の少なさだけが要因ではなく、「発達障害かも知れない」と初めて自分だけではないほかの要因を探ることができた。
 この記事を読んでいる人の中にも、長年悩んできて、同じように苦しい思いをした人がいるかもしれない。でもその生き辛さの要因は、自分の努力だけではなく、発達障害などのほかの要因があるかもしれないということを知ってほしい。

 そもそも社会はお互いが協力しながら、得意分野を発揮しつつ成り立っているのではないか? ひとは誰かの力を借りながら、自分の特性を発揮し、自然と誰かのサポートになっている。自然と協力関係ができている。

 宇宙兄弟にはこのような名言がある”「そんあつもりはなくても人はね”生きる勇気”を与えるために生きているのよ。誰かに勇気をもらいながら」”

 人は関わり合いの中で、自然とそれぞれの個性や特性を発揮しながら、誰かの助けになったり、サポーターになっている。その自分も誰かのサポーターである。

 自分の人生経験を踏まえて、何年も自分のせいではないか? 自分の努力が足りないのでは?ともがき苦しんできた人に伝えたい。自分の努力は決して無駄ではなく、誰かに伝えるための大きな財産だ。そしていつまでも改善しないであれば、努力不足ではなく、何か別の性質や特性が要因になっているかもしれないと考えてみてほしい。

 そして自分は決して一人ではなく、周りにはサポートしてくれる人が必ずいるから、何か困ったときは一人で抱え込まず、周りを頼ってほしい。そうすることで今まで生き辛かった要因がはっきりわかり、自分だけではない様々な要素が浮かび上がるから。

 一人でも多くの人が意味ある人生を送ってほしいし、自分は一人じゃないと気が付いてほしい。そして誰もがお互いを理解しあい、特性を理解しながら支えあえる社会ができ、誰もが支えあい、お互いを感謝しあえる社会を願っている。これが本当の生きる意味のある社会だ。

 この記事のメッセージが一人でも多くの人に伝わり、多くの人の生きる希望になれたら、筆者としてうれしい限りです。

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