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AかBか・・・つぶあんパンか、こしあんパンか

AかBかと考えるのはなかなか頭の体操になる。比較をするうちに両者の長短が分かり頭が柔軟になる。イヌ派かネコ派かなどはよく聞く。この場合、どちらが好きで終わり、どちらが多い少ないで勝敗が決まるみたいなのはきわめて面白くない。両者の比較がないとつまらない。太宰治の何という小説だったか喜劇的なものと悲劇的なものの例として、バスと汽車があった。バスはユーモラスな感じがする。汽車は確かに寂しい。特に夜汽車の汽笛は哀愁を帯びている。

こういった比較論では、日本の東西比較というのが有名だ。うどんの汁でも関西のうすい汁に対して関東の濃い汁の違いがある。西日本の丸餅と東日本の角餅もよく言われ、福井出身の人に正月の餅の形状を聞いたら丸餅だと教えてくれて、やはり関西文化圏かと合点をしたりする。どうも関ヶ原が東西文化の分岐点になるようで、名古屋は角餅である。

本来、餅は丸かったそうだ。東日本でも神前へのお供え餅は丸いが、これは元々餅は丸餅だった証であるようだ。しかし、丸餅は作るのに手間がかかる。江戸の街には、杵や𦥑を持たない庶民のために餅つきを商売とする賃餅というのがあったそうで、ついた餅をのして四角に広げて、それを後で切り餅にしたらしい。ひとつひとつ丸餅にしていたら時間がかかり商売にならない。角餅(切り餅)は人口の多い江戸の生活から生まれたものと言える。磯辺巻きのように海苔を巻くには角餅がよい。いろいろ見ていくと正月の餅にも歴史的な合理性があるようだ。

さて、あんパンは、つぶあん派とこしあん派に分かれるようで、私はつぶあん派、家内はこしあん派である。江戸っ子の義兄のお母さんは、はっきりと「あんパンは、つぶあんだ」と言い切っていた。

あんパンが、丸餅・角餅のようにスパッと東西で分かれるかというとそうではない。イメージでは、きめ細かな京菓子に対して、大福に代表される江戸の和菓子のようにつぶあんが多いという感じはするが、はたして真相は何処?東京にも水ようかんのような滑らかな物もある。西にも小豆をつぶさないで寒天に包んだ和菓子もある。それぞれの素材を生かした和菓子が東西にあるので、東西で分けきれない。

つぶあんパン派とこしあんパン派の違いは、つぶあんの和菓子が好きかこしあんの和菓子が好きかということなのだろうが、つぶあんパンやつぶあんの大福は好きだが、水ようかんも好きな自分自身にすでに矛盾がある。つぶあんパンとこしあんパンを合理的に比較することは、なかなか難しい。


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