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歳をとって読んだ源氏物語3  光源氏の性格

「光源氏、名のみことことしう、言ひ消たれたまふ咎多くなるに、いとど、かかるすきごとどもを」と高校の友人が口ずさんだことがあった。それを聞いて、意味をよく理解しないながらも、光源氏の好色家のイメージを抱いてしまった。

高齢者の仲間入りをして、ゆっくりと原文(帚木)を読んでみた。今では使われていない言葉が多く、古語に習熟していない自分には、読むのに時間がかかる。それでも、正確な解釈ではないかも知れないが、概ね意味は通じる。かくして自分の中に次のような光源氏像が得られた。

わが光源氏は、
①普通の恋愛感情を持っている。
②浮ついた遊び半分の恋ができない、真面目な性格である。
③生真面目の故に、無理をしたり、強引なところがある。
④後世に誤解されたような好色家ではない。
⑤話し合いでも、聡明のためおかしな点に気がつき、疑問に思うとツッコミをする。
という性格である。

「帚木」では、光源氏は、名前ばかり仰々しくて、人からけなされるような誤ちが多いが、このような恋愛事を、後の世の人たちに伝えて、浮ついた軽薄な人物という評判を残そうとして、源氏がこっそりと隠してきたことまで、語り伝えようとする人たちの性格の悪いことよ(「忍びたまひける隠ろへごとをさへ、語り伝へけむ人のもの言ひ性なさよ」)とあり、続いて、「世を憚って、真面目に心がけていて、色めいた話などなく、交野の少将(奔放な恋愛遍歴で名高い)に笑われるだろう」とある。源氏は真面目な質なのだ。作者は、隠してきたプライバシーも暴露しようとするゴシップ好きな人に批判的で面白い。

うわさ話は、ムラ社会をまとめる役割を果たしてきた。情報化が進展する以前の社会では、それが顕著で、特に個人のプライバシーを暴くような話に聞き手は耳をそばだてていた。平安時代にも醜聞が大好きな人がいたようで、源氏物語の語り部が、今の世に生きていたら、無闇矢鱈に醜聞を探し回り、暴露することを業としている人たちには、さぞや批判的だろうと思われる。

光源氏は、決して好色家ではない、生真面目な性格である。人間は、生殖機能を持つ動物なので、異性への関心は誰にでもある。そういう点では、光源氏は、普通の感情を持った人間であるが、一夫多妻が普通だった時代なので、たくさんの恋愛遍歴をしている。女性に対する態度は、生真面目で、純粋な故に時に無理を通そうとする強引なところがあったという。

「源氏は、世を憚って、まじめに心がけていたから、色めいた話などない。行き当たりばったりの好色な気持ちは性にあわない性格で、たまに無理に思い悩んだことを心に思い留める癖があり、よくないふるまいもあった」とある。要するに、軽薄な浮気者ではなく、恋愛に対しては真面目な態度だった。源氏には、女性に対する責任感と優しさがある。

真面目な性格は、恋愛だけではないようだ。
頭中将が、上流中流下流の女性を論じて、上流階級の女性は大事に育てられ、欠点が分からないようにされている、中流階級の女性は個性があり面白いと言うのに対して、源氏は、階級をどう区別すればよいのか、上流階級も落ちぶれて行くし、下から成り上がって行く者もいる。階級など流動的だ、落ちぶれた者、成り上がった者はどの階級に入れるべきかと問う。このように源氏は、人の論を鵜呑みにしないで、自分で考えようとする聡明な人物に設定されている。

「帚木」を実際に読んで見て、自分なりに源氏の性格を知ることができたが、実際に自分の目で見ないと真実は知れないものだということは、光源氏のことだけではないのだろう。


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