ああ、先生。大好きです。
中学1年生、私は塾に通っていた。大人数で受けると学校のことを思い出して苦しいため、個別で指導してもらえるようにお願いした時、その先生と出会った。
私が小学校6年生の頃、担任が男性で、昼休みに怒鳴られ続けていた経験があり、男性恐怖症の傾向があった私は、最初は女性の先生を希望していた。しかし、女性の先生はイライラしている時があったり、気分がいい時があったり…落差が激しく気を遣ってぐったりしていた。
そんな時、塾の先生に望んだものは
「男性でもいいから優しくて声が高い先生」だった。
母が「声が高い先生でお願いします」と言った時、塾長は「…へっ?」と言った。声の高さで希望をされたのは初めてだったのかもしれない。今となっては恥ずかしいが、それぐらい男性らしさを感じるのは私にとって恐怖だったのだ。
当時、先生は19歳。大学一年生だと言っていて、塾の中では最年少だと言っていた。毎日同じネクタイを付けていて、徐々にネクタイの端っこがボロボロになっていた。
多汗症なのが気になるのか、文字を書くときはいつも手の下にハンカチを引いて書いていた。優しく寄り添い、私の苦手な数学にも向き合い、勉強だけではなくおしゃべりもしてくれる先生のことを自然と私は好きになっていた。
そんな中、中学2年生の冬、私はいじめが原因で学校に行けなくなってしまった。塾の回数を増やし、学校に行けない分の勉強を補うかのように先生のところへ通った。
絶賛反抗期で、塾の前に止まった母の車から降りられず喧嘩になり、そのまま飛び出して夜の道を歩き続けたこともあった。無事発見されて次の日に塾に通った時、先生はそのことを責めなかったし話題にも出さなかった。優しさを感じて、もっと好きになった。
中3最後の塾の日、誰も生徒がいなくなった教室でお互いの思い出を語り合った。
「本当に先生にはお世話になりました…」と言う私の横で、先生も同じように泣いてくれた。今までの中で1番長く、教室に居た。夜の9時に終わるはずの塾の時計は9時20分をさしていた。
それから先生は、高校の文化祭にも来てくれた。塾を通しての手紙のやりとりもしていた。しかし、それも徐々に減っていき、今となってはやり取りがなくなってしまった。
先生、目指していた教師にはなれていますか。教師ではなくとも、先生の満足のいく仕事に就いて元気になさっていますか。
あの頃の14歳の私は、今でも先生のことが大好きなままです。
私ではない誰かとご結婚されていますか。
ああ、先生、大好きです。