シングルファザー として生きる:10か条(その8)家事業のゴールは家庭内が家族にとって「ほっこり」とした安心・安全空間を作り上げる事である
こんにちは。今回は前回に引き続き私の経験を基にし、今現在シングルファザー として生きる。または、これからシングルファザー として生きる事実を迎える方々へ
私なりのアドバイスを10か条として、提案して行きたいと思います。
※前回分:
①父子家庭のライフスタイル作りは「自分らしく生きていく自分を許す」事から始まる
https://note.mu/single_father/n/n69e3f049302c
②自立とは上手に人の力を借りながら生きる事である。
https://note.mu/single_father/n/nbcb55a4da892
③その「正しい」は「優しい」とイコールであるかを自らに問い続けよ
https://note.mu/single_father/n/n6ee0f35e2592?creator_urlname=single_father
④相談とは「◯◯で困っている。一緒に考えて欲しい」と話すことから始まる
https://note.mu/single_father/n/n2ecdaa2dc681
⑤父親業を1人ですることが父子家庭なのではなく、親業を1人で行うのが「ひとり親」家庭
https://note.mu/single_father/n/nb4aea8855628
⑥地域活動に参加することは、子ども達と自分が見守られて生きていく環境整備である
https://note.mu/single_father/n/n56c3f9f7bd4d
⑦制度利用(生活保護、障害者手帳、貸付金事業の利用、児童相談所のショートステイ」を利用する事は「マイナスな選択ではない」ただの制度活用である。
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(1)家事業のゴールは家庭内が家族にとって「ほっこり」とした安心・安全空間を作り上げる事である
私の子育ての悪い事例を元に「なぜ?」「ほっこり」が大事なのかを書いていきたいと思います。今まで書いてきた中で結論は書いていました。
安心・安全を感じられる家で愛されている事が当たり前で育ったことも達は、耐久力、想像力、ストレス耐性、柔軟な思考力、学力が向上していく。なんて事を書いていたかと思います。
では我家では一体、どんな子育てをしていたか?
もろ、戦後の昭和のオヤジでした。
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(2)我が家の失敗談:戦後の昭和のオヤジが気づくまでストーリー
今ではやっと「ほっとこ・まったり」家庭になった我が家
でも過去は壮絶でした。
過去、我が家のテーマは下記3つ程あった。
・嘘をつくな、約束を破るな、恩知らずになるな。
・ほうこく➡︎れんらく➡︎そうだん➡︎かくにんの徹底
・一人はみんなのために、みんなは一人の為に
狙いはフルタイムで私が働く、子ども達の自立を促す必要を見通していたからでした。その為に躾(虐待かな)を徹底的に行ったのです。
例(00)朝・昼・夕・就寝前の挨拶、そして元気良く返事をする。
➡︎声が小さいと、やりなおさせていました。
例(01)飯の準備
➡︎飯の準備は全員の仕事。テレビ見てたらゲンコツでした。
例(02)飯の時間
➡︎箸の持ち方、三角食いが出来ていないと箸で手の甲を叩いてました。
例(03)家事の役割分担は仕事
➡︎料理・洗い物・選択・干す・掃除は仕事の訓練だ!でした。
例(04)お手伝い=労働対価
➡︎お手伝い終わる何十円という風に決めていました。
例(05)厳密ルール➡︎罰
➡︎話し合って決めたルールを破った場合、殴ってました。そして小遣い抜きでした。
例(06)睡眠時間
➡︎就寝時間20:00ー21;00厳守
例(07)帰宅時間➡︎電話連絡
➡︎連絡がない段階でイライラがMAX、帰宅後説教してました。
例(08)言いつけ➡︎破る
➡︎怒る(私は物を壊したり投げたりキレてました)
例(09)号令と共に行動開始
➡︎役割分担表を見て、号令とともに一斉に取り掛かる。
例(10)諭す起こり方ではなく、感情的に罵声・怒声・力技だった。
➡︎時には食事を抜きにすることもありました。
これじゃぁ。「ほっこり」なんてありえないっすよね。振り返ると本当、軍隊のような「安心・安全」も何も無い苦しい生活だったと思います。
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(3)昭和のオヤジスタイルに何故?なってしまったのか?
ちなみに私の幼少期は、このような子育てはされていませんでした。
むしろ、大事に育ててもらったと思います。
その上で思い当たるのは、息子の3度に渡る闘病期間と長期間の療養期間かなと振り返って思うのです。
他の子よりも遅れているから(体力・知力・経験・社会経験・対人関係)だから厳しくそだてなくてはならない。そう思いました。
後は父子家庭に当時支援制度が無かったことから、生活していく為にはフルタイムで残業あり時には出張もやむ得ないという見通しの中、子ども達に何を身につけさせる必要があるのかを想定していたように記憶しています。
誰かの手を借りるとかしたくても近所に身内はおらず、仙台市で孤立していたのです。
もちろん、相談窓口に片っ端から連絡しました。でも「お父さんだからねえ」の一言で全て終わらせられる。私は完全に孤立してしまったのです
結果、子ども達に多くを強いるようになってしまった。
そして最終的に昨年平成30年9月と10月に息子と娘は児童相談所で一時保護を受けることになってしまいました。鬱病で体調を崩した時期と同時期の話です。
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(4)そして現在
※休職➡︎児相➡︎通院➡︎服薬➡︎原因判明(ADHDからの衝動性だった)
休職し、子ども達は児童相談所へ、そして私はメンタルクリニックで治療が開始されました。鬱病の他にADHDという発達障害も見つかり、衝動性が強い事、沢山のことを一人で処理する事に困る特性があることが分かりました。
私は服薬し、調整を続けながら「自身の考え方の癖」や普通の人の感覚と違う、「発達障害から来る衝動性からのイライラ」から解放されていきます。そんな中、息子は家庭復帰を望み平成31年1月より家庭復帰。
今では息子と2人でまったり、もっさりとスローライフを送ることが出来るようになりました。
過去の生活から一変です。なぜ?あんなにイライラしていたのか、自分でも不思議なくらいピタッと感情の爆発が止まったのでした。
しかし、娘は現在も自立援助ホームから帰ってこれません。
過去の私しか知らないのですから仕方ないと思っていますし、彼女の気持ちを考えると今は時間が必要なのだと理解しています。
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(5)振り返り・・ダメ親父からのアドバイス
私は過去の自身を振り返り、いくつかの学びと気づき、必要だと考え得ることが出来ました。それを最後に記載して今回の記事は終了にしたいと思います。
・男性性の専門の相談窓口を早期に全国展開させなければならない。
・病児後育児支援に対する児童・養育者の心のケア
・虐待問題には養育者の発達特性等が絡み合っている可能性アリ
・全国的な母子父子医療費助成の現物給付の早期実現が必須
・児童相談所における人員倍増するなどの抜本的改革
・家族再統合支援に合わせて、障害・病気を持つ兄弟児支援・ケアの実施
・他機関連携を実施する為に、厚生労働省の各部局間で縦の専門知識と横の横断した連携対応フローを作成し全国展開を実施する。
・可能であれば当事者団体へ登録し、当事者同士の繋がりを持つことで自らをケアする努力をしてみる。
そしてダメ親父より。ダメなパパも、良いパパも苦しんでいた。
そして何よりも娘が苦しんでいた。
その相互理解の為の家族カウンセリング機能の一層の強化が家族再統合支援には必須だと私は実感を持って感じています。
そして最後に一番大事な事は「優先順位」かなと思います。
①子ども達・ほっこりした日常生活
②仕事・働き方
③自分の「べき論・ねばならぬ思考」や「発達障害や精神疾患を疑う」こと
以上について、少しだけ振り返って頂けたら幸いです。
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今回は以上になります。
そうとう、ぶっちゃけさせて頂きました。
現在進行形の私の課題。他責にするつもりはありません。
私の責任であり、私のしたことです。「叩かない子育て」最近メジャーになってきましたね。でも私には遅かった。
もっというと、父親支援が、男性性へ対するケアという分野が確立されていない中で父親達に私のようなものに、そうした情報や学ぶ機会が来るのは東北であるがゆえ数年先でしょう。
虐待問題は個の問題だけではなく、周囲の社会資源とお互い様の人的資源。「いつでも、力になるよといった優しい」に包まれて始めて救いの光が見える課題だと当事者として痛感しています。
攻めたい人もいるでしょう。なんでこんなことを書くのだと憤る方もいるでしょう。
しかし、これが私なのです。そして苦悩し何とか改善しようと努力し、そして心折れる日々の繰り返しの中で一進一退で何とか私も生きています。
一日も早く、そして娘にとって一番良い形で家族の形を再形成できるよう努力して参りたいと願ってやみません。
私だって完璧じゃない。皆さんも、そうだと思います。
だから、どうか仲間として一進一退で笑っている父親を目指していきたいですね。
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さて次回のシングルファザーとして生きるですが
⑨家族の総合力で勝負!子ども達も家事業の戦力に育てよう!
それは「生きる力を、時間の使い方を、段取り力を」育てる教育となる。
です。
東日本大震災での経験も交え書かせていただけたらと考えております。
また読んでいただけたら幸いです。
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