2024.9.3. 私は一日に二度、嬉し泣きした
その日の仕事帰り。
いつもの渋滞の中、カーラジオをつけると
「万波~!先頭打者ホームラン!!」
と叫ぶアナウンサーの声がした。
ハンドルを握りながら、思わず歓声を上げてしまった。
いつもなら、地元球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの試合を中継しているtbc東北放送。けれどその日、イーグルスには試合が組まれていなかった。それでだろう。AMラジオをつけると流れてきたのは、福岡でのソフトバンクホークス対北海道日本ハムファイターズの試合中継だった。
前の週、ファイターズはビジターゲームで埼玉西武ライオンズに2連敗していた。そんな嫌な流れで福岡に乗り込んでの、首位ソフトバンクホークスとの2連戦の初戦がこの日だった。
自宅に着いてからも、夕飯の支度をしながらラジオで試合を聞き続ける。
先頭打者の万波中正選手のホームランから始まった試合は、淺間大基選手へのフォアボール、清宮幸太郎選手へのデッドボールの後に4番レイエス選手の2点タイムリーで0-3。さらに郡司裕也選手へのデッドボールと上川畑大悟選手のヒットを挟み、伏見寅威捕手のタイムリーで0-5。初回一挙5得点と波に乗ったファイターズは、3回にはマルティネス選手にもホームランが飛び出し、0-6とリードを広げた。
しかし、このまま易々とは勝たせてくれないのが、さすが首位のソフトバンク。
初回からそれまで安定したピッチングを続けていたファイターズの先発・伊藤大海投手だったが、3回の裏に栗原陵矢選手と山川穂高選手に続けてタイムリーを打たれ、スコアは3-6に。
「これでホークス3点差!」
「3点は、一発が出ればすぐ同点ですからねぇ~!」
ラジオの向こう、アナウンサーの口調が先ほどまでと全く違うテンションに変わる。
そりゃあそうだ。聞いているのはtbc東北放送とはいえ、中継しているのは福岡の放送局であろう。ホークスだって、首位独走でマジック点灯中とはいえまだマジックは残り2ケタ。負けて良い試合など無いのはお互い様だろう。
そう頭では理解しつつも、中立放送じゃないんかい、と若干イラっとしつつ(けれど、そこもまたお互い様である。tbcのイーグルス戦は応援実況の時でさえかなり中立な放送とのイメージだが、北海道にいたころいつも聞いていたHBCは以下略)、これは逆転もありえるぞと心配で心臓がバクバクしてくる。
やがて、夫が帰宅。
「ラジオ、このままつけてていい?」
「もちろん!」
イーグルスファンの夫ではあるが、ファイターズも応援してくれるのがありがたい。ラジオは流したまま晩酌を始める。
穏やかな晩酌・・・と言いたいところだが、心は野球。ホークス相手に3点差リードでは安心できるはずもなく、飲んでいても落ち着かない。それでも、4回以降は両チームとも得点の無いまま試合が進む。
8回、伊藤大海投手に代わり、マウンドに上がったのは、宮西尚生投手だった。
今年8月4日に日本プロ野球史上初の通算400ホールドを達成したベテラン。ゆるぎない信頼と確かな実績の中継ぎ投手。大好きな選手の一人である。
そんな宮西投手は、しかし、8月23日エスコンフィールドでの対ホークス戦で5-5の同点で迎えた延長10回、正木選手から今季初被弾を浴び、敗戦投手となっていた。
大丈夫。今日は絶対、大丈夫。
祈るような思いで、ラジオに耳を傾ける。
代打・佐藤を空振り三振。そこからの打順は、得点された3回と同じである。しかし、3番・栗原をセカンドフライ。4番・山川もセカンドフライに打ち取り無得点。
ラジオの前で、思わずガッツポーズ。
ぐっとくる。でも、泣くのはまだ早い。さあ9回だ。
そして、9回。
宮西に代わってマウンドに上がったのは、田中正義投手だった。
田中投手は昨シーズン、FAでホークスに移籍した近藤健介選手の人的補償としてファイターズに移籍してきた。移籍を機にリリーフに転向。守護神として大活躍し、その名前(田中投手の下の名前は「マサヨシ」ではなく「セイギ」である)から「ジャスティス」の愛称で親しまれるようになった田中正義投手は、8月4日のホークス戦でサヨナラ打を浴びていた。
その後、登録抹消。
9月1日に約1カ月ぶりに1軍復帰したばかりで、この試合が復帰後初登板だった。
さっきの宮西の投球の時以上に、心臓が大きな音を立てる。
頑張れ。大丈夫。頑張れ。ラジオに向かって手を合わせる。
正木を抑えてほっとしたところで、次の今宮に内野安打。
そして8番・甲斐。
ってかなんで8番バッターが甲斐なのよ下位打線に甲斐って怖いわこれ打つでしょ強すぎるでしょホークス。
そんな愚痴と祈りとがないまぜになった心境で、両手を握り頑張れとつぶやくばかり。
投球。
「おさえたぁぁぁぁっ!!」
セカンドフライで3アウト。
その瞬間、目から涙が噴き出した。
「ジャスティスがっ!ジャスティスが復活したよぉ!やっと戻ってきたよぉぉぉっ!」
涙と鼻水でわやくちゃになる私を、夫は笑顔で見ていた。
その、数分後。
「落ち着いた?」
と、夫。
「うん、取り乱してごめんね」
と、やっと心穏やかに飲み始める私。
「じゃあAbema見るか?」
と夫が自分のスマホを差し出す。
「アベマ?Abema?・・・うわぁぁぁ今日高山さんの大会だぁぁぁっ!!!」
その日、9月3日は、プロレスラー・高山義廣選手を支援する大会「TAKAYAMANIA」の日だった。
プロレスラーであり総合格闘家である高山義廣選手。
私が高山選手のファンになったのは、高山選手が全日本プロレスに参戦するようになった1990年代末のことだった。正式に全日本プロレス所属となってからのユニット「NO FEAR」で大好きになった。
その後、プロレスリングNOAH所属を経て、フリーとなってからは様々な団体や大会に参戦。2004年には脳梗塞により長期欠場となり、もう復帰は困難かと思われたものの、見事に復帰。復帰戦のNOAH武道館大会は、敗れたものの素晴らしい戦いだった。試合内容はもちろん、試合後のコメントも含めて号泣させられた。
しかし、2017年5月4日、DDTプロレスリング豊中大会での試合中に、高山選手は頭部を強打し救急搬送。
後に、頸髄完全損傷という大怪我により首から下が動かない状態であることが公表され、それ以降現在に至るまで長期欠場中だった。
高山選手を支援する大会「TAKAYAMANIA」が前回開催されたのは2019年8月。今回は5年ぶり3度目の開催だった。
大会の模様はAbemaTVで中継されるので、一緒に見ようねと以前から夫婦で話していた。
そんな大事な日だったことをすっかり忘れていた自分にショックを受けると同時に、そんな私に文句も言わず、そっと一人でスマホで観戦していた夫に感謝の気持ちと申し訳なさとで胸がいっぱいになった。
中継画面の中には、高山選手がいた。
車椅子に乗っていた。けれど、画面越しとはいえあの日以来初めて見る、動く高山選手の姿だった。
今度は私だけでなく、夫婦で泣いた。
状況に違いはあれど、野球でも、プロレスでも、復活に嬉し泣き。
これからも応援し続けるとの思いを新たにする夜になった。
好きなもの、応援したいと思う人がいてくれるのは、幸せだ。