見出し画像

「再生の道」は都民を守れるのか?

先日、石丸伸二氏が新党結成を発表した。僕は特定の政党支持者だ。その僕から見たこの新党の構想には不気味な違和感を感じた。何か重大な視点が欠けてる様に感じる。その会見での言い知れぬ違和感を自分なりに分析してみた。それを、順々に語り、皆さんにも共に考えて欲しいという思いからnoteにまとめる事とした。

会見での高圧感

先ず一番は、石丸氏のいつもながらの高圧的な態度だ。正直、誰に向けた発信、会見だったのだろう。首を傾げてしまう。マスコミ各社を上から目線で見下ろして、さも主導権は自分にあると言いたげにみえる。その記者とのやり取りを見ても、都政をどうしたいのか、都民に何を訴えるのか、全く見えない。まあ、それは当然だろう。何せそれぞれの候補者に任せると公言しているのだから。そして「今はそれを語らない」としてる。これも戦略だろうと思うが、余程都民にとってインパクトのある事を言わなければ、この党は住んでいる人達に向き合ってない、ただの"ハコ"だけ作った当選互助会に過ぎないことになる。高圧的な態度でマスコミにマウントを取り、エコーチェンバーも存分に利用して、党の宣伝にはなったと思うが、少なくとも僕から見て、都民に対して真摯に向き合う心は一ミリも感じなかった。

機械的な言葉

次に気になったのは、「装置」や「システム」といった無機質で機械的な言葉が繰り返されてる事だ。最も印象的だったのは

「この装置を置いてみたら」

という言葉。どうやらこの政党は「装置」らしい。政治家としての人間性や人格に関する言葉は殆ど見られなかった。ビジネスライクな「仕事が出来る」や「合理性」は確かに綺麗に聞こえる。今までに無い発想ではある。だか、そこには「信念なき商業感覚」が匂う。プラットフォームを目指すとも言っていたが、人格にフォーカスした言葉は無いに等しかった。果たしてこの様な人の集まりが、不測の事態に直面した時、どの様な行動を取るのだろうか?ビジネス界隈であればリスクを最小限にする為に自分の身を守る行動も許されるだろう。しかし、都の職員、公務員は違う。そういった事態にこそ、我が身を賭して都民の為に動く事を否応なしに求められる。各地の被災地での現状がそれを物語っている。いわんや議員をやである。都民の代表である議員は、そんな時こそ自身を顧みずその役目を全うせねばならない。そういうリスクは全く説明されず、年収と拘束時間だけを語り公に発信して候補を募る様な手法は、一昔前のブラック企業さながらではないか。もう既に沢山の応募があると得意気にYouTubeで発信していたが、その中のどれだけの人が真剣に都民の為に働こうと思っているのか。あの会見からはその様な人が集まってくるとは到底思えない。何せイデオロギーが無いのだから。個人のやりたい事だけで集まる集団が、基本的に多数決で決まる議会で何が出来るのか?「政治屋」を一掃すると豪語しておられるが、何もしないで議員報酬を丸々貰う「政治屋」を量産する恐れがある事を指摘しておきたい。

「助け合い」の視点はどこへ?

そもそも僕が最も問題視しているのが、石丸氏本人の災害対応における不誠実さである。石丸氏は市長時代、大型台風が近づく中、公務を休み、千葉県のトライアスロン大会へ出場している。確かにプライベートと言われればそうかも知れない。だが、市民の生命を預かる身であるならば、プライベートより公務を優先するのが心ある政治家ではないのか。しかもその事を議会で質問された時、
「プライベートをとやかく言われるのは、正直キモい」と回答し、周りを唖然とさせた。事実なのでリンクを参考にして欲しい。

こんな人が集める議員。果たして危機に瀕した時、どの様な行動を取るのだろうか?僕はうすら寒い気持ちになる。こういう事に答えを出すのが彼が否定してやまない「イデオロギー」なるものではないかと思う。信念無くして、身を賭して人に尽くすなど、到底できないからだ。災害対応で大事な事は「自助」・「共助」・「公助」だ。「共助」も「公助」も放棄する様なこの姿からは、市民を守ろうとする覚悟みたいなものは感じる事が出来ない。危機に瀕した時こそ、「助け合い」が最も必要とされる。ましてや東京都という人の繋がりが希薄な土地で、「共助」や「公助」を提供する人こそ、議員でなくてはならないと思うのだが、そういう視点が、現時点では圧倒的に欠落してると言わざるを得ない。首都を守る議員をとして、この視点が欠落してる事に僕は非常に危機感を抱いている。

都民を守る気はあるのか?

最後に言いたいのは、先日石丸氏はYouTubeで、岐阜県知事選で当然した候補の推薦が、自民、公明、立民、国民と重なっていた事を見て高笑いしながら

「主義主張はどうした?」

と皮肉っていた。が、僕はそれを見て自語相違が酷いなと思った。自分は「再生の道」で、他党からの重複を認めていながら、与野党が同じ候補を推薦する事を認めない。自分は良くて、他人はダメという事なのか。更に言えば、県知事は首長だ。与野党関係無く全ての県民の事を思って政治を行う立場だ。ならば、推薦が被るのは何ら問題無い行為だ。自分はあれだけイデオロギーを否定しておきながら、他党が県民を思ってイデオロギーを超えた行為をディスる。分かりやすい対立軸を作って「自分だけが正義」と言わんばかりだ。こういう人が最終選考でどういう人を選ぶのか見ものだなと。行き過ぎた個人主義は能力主義者を生み、分断を加速させる。「一人勝ち」を是とするからだ。今迄の話を総合しても、到底、都民に向き合ってるとは思えない。「一人勝ち」を目指し、自分の利益を優先する人達を集めている様にしか見えない。都民を守る気概は、少なくとも感じる事は出来ない。もしも真剣に考えていると仰るならば、危機管理や、災害対応のビジョンを、是非公の場で語ってもらいたいものである。

以上、僕の考察を言語化してみましたが、いかがだったでしょうか?

かなり批判的な目線なので、異論や反論もあろうかと思いますが、その点は甘んじて受けようと思います。

ですが、何よりこれからの情報精査の一助になれたらと思います。

長文、読んでいただき本当にありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!