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家族持ちが元旦から学びに徹することのできる幸せ

昨晩はものすごく久しぶりに、眠れない状態になり、半年ぶりぐらいに睡眠導入剤を棚の奥から引っ張り出して、服用して寝ました。

睡眠導入剤の効果はカッチリしていて、効能の3時間ぴったりで目が覚めましたが、あまり寝不足感はありません。

感染症拡大前までの平成の時代、僕は長らく、妻の実家に行き家族と過ごし、年始に親戚のあいさつ回りをして、僕だけ一足先に戻ってくる、そういう年末年始を送っていました。

年末年始らしく、妻の実家でも義妹の旦那さんと酒を酌み交わし、来客があればその人とも乾杯、年始の挨拶に行けばそこでもしこたま飲まされる、という感じで、当然ながら、使い物になりませんでした。

それが、令和に入り、まずは僕がメンタルで調子が悪くなり、その年は行くことができなくなり、そのまま感染症拡大期に突入。
しばらくは往来もままならず、そうこうしているうちに父が亡くなり、母のフォローをすることになって、ここ数年は僕は地元にとどまり母のところでお世話をして、僕以外の家族は妻の実家に出かける、そういう離れ離れの正月を過ごしています。

スポット的に僕が顔を出せなくはないのですが、年始のあいさつ回りがなくなったので、僕がいなくても支障はなくなり、さらに、義妹の夫婦がうまくいっていないので、向こうの旦那も帰ってこないらしく、子どもたちも成長して、僕がいなくてもさほど困らない、
そんなこともあり、無理して顔を出すことをせず、一人で留守を守ることが、僕の役割になりつつあります。

感染症拡大を契機に、それまでの慣習が断絶し、元に戻った部分も相応にあると思いますが、そろそろ「潮時」にあったことについては、体よくそぎ落とされ、フェードアウトしたものも、少なくないと思います。

年賀状の値上げなんかも、多くの人にとって「潮時」だったのかもしれないですね。

僕自身は、平成の後半は、学びの面ではグズグズで、組織内最適のスキルを磨くことで満足していたので、メンタルでどん底に落ちて、そこで学びに目覚め、感染症拡大によるあらゆる断線を経験する中で、学びの環境が自ずと整えられ、学びが習慣化した、これは僕にとって、一度道を踏み外したことの、最大の財産だと思います。

正月についても、テンプレの家族の過ごし方ではないのかもしれませんが、今はこれが家族のかたちとしてフィットしているので、無理に元に戻したり、演出したりする必要はない。家族がいながら、元旦からコワーキングスペースで学びに専念できるなんて最高だと思います。

この成果を、いずれ家族にも還元すればよいのでしょう。

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