己を限界まで酷使しない
困難案件を抱えていると、その案件が強力な磁力を帯びているかのように、次々と別な困難案件が吸い寄せられるように、飛び込んできます。
第一の案件は、周囲の海がまだ穏やかであり、遠くからやってくるのが見えましたので、それに対する備えもできるのですが、第一案件の対応中に、次の困難案件が飛び込んでくると、リソースを2方面に分散して対応することになります。
さらに、第三、第四の困難案件が飛び込んでくると、すべてにリソースを割いてはどれも中途半端になってしまいますので、優先順位をつけて対応することになりますが、往々にして、それぞれの案件はこちらの事情を待ってくれず、放置すると悪化の一途をたどこり、案件が巨大化していくことから、最初から完治を目指すことはあきらめ、対処療法でこれ以上案件の状況は悪くならないように措置をほどこす、戦場で多数の負傷者を相手に、次々と対処的な処置を施す軍医に似た割り切りが求められます。もちろん、僕はこれまで、仕事において人の生死に直面した判断を求められたことがありませんので、戦場や災害現場における医師の、トリアージのストレスとは、比較にならないとは思います。
こうした余裕のない局面では、焦りから、自分の持てるリソースを全投入してしまいがちです。平時であれば一定の段取りを踏み、役割を分担していても、非常時には全体が見えている自分がやらねばという気持ちが先走り、全てを抱えて走り出し、ついでにすべての案件も呑み込んでしまえと心が暴走し、最後には燃料切れで強制終了、その場で倒れてしまいます。
一度、これで僕は大きなダメージを受けましたので、気持ちが走りそうになると、己を限界まで酷使しようとする心に枷をはめ、冷静になるのを待つようにしています。
ただ、極限状態になると、こうした枷を壊すことは簡単で、同じことを繰り返してしまいそうで、できれば、こうした激戦の戦場に戻ることは、そうしたパンドラの箱を開けることになるため、避けたかったのですが、今は、こうして朝に自省することで、なんとか枷の存在を気づかせつつ、限界突破の前で、対応していきたいと思います。