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母のサポートがそろそろ限界に

 最近になって、母の言動がいよいよ首尾一貫しなくなっており、一人での生活は難しくなってきたのかなと、感じています。

 昨日などは、母の手元に届いた振込依頼書について、前の日にかなりの時間をかけて説明し、期限はまだ先なので、無理に振り込まなくても自分が郵便局に行くといっていたのに、
そのことを忘れ、歩いて7~8分の郵便局に振り込みに行き、しかも買い物もバスで行って済ませ、暑い中、荷物を持って帰ることに、「息子や嫁に捨てられた悲劇の主人公の自分」という図式を当てはめ、悲劇の主人公として怒りを覚えたようで、長々とした電話をすることになりました。

 要は、自分以外の高齢者は、独身の娘がいることが当たり前で、娘は仕事していないので、いつでも家に来て、料理や買い物をやってくれる。それに比べて週1でしか息子が来ない自分は不幸であり、娘がほしかった。

 せめて独身の息子がほしい、いや、息子が離婚すれば自分にとっては「当たり前」の状態に近くなる、嫁は役に立たないから、そのほうがまし、そういうロジックで、怒りの電話がくるのですから、たまりません。

 先日、これで弟がブチ切れたようですが、私も職場にもかかわらず、あまりに意味不明な行動と言動に頭の中で切れた音がして、人目をはばからずスマホに大声で叫んでしまいました。

 冷静になってみると、既に認知が低下して周囲が見えなくなっている母を相手に本気の喧嘩をしようとしたこと、これ自体が子どもの喧嘩に入るがごとき所業で、恥ずかしいことなんですが、
現実問題として、せっかく段取りを整えても、母の頭の中はリセットされてしまう、これでは時間をかけてやり取りしたのが何だったの?ということになり、家探しも、諸々の件も、進みません。

 日常生活の買い物、掃除、食事などはできており、家は整頓されているので、認知症が進んでいるようには思えないのですが、第三者の介入について、見守り電話や宅食サービスを一度はお願いしたのに、半年もしないでサービスを打ち切ってしまう、
遠くに進むきょうだいとの関係は、お金の問題の水掛け論を持ち出して、自分で疎遠にしてしまう、
こうしたこと、過去のエピソードとともに話をすれば、何とか思い出すのですが、最近は都合の悪い話はことこどく記憶からクリアされているようで、危うい感じですね。

 このままだと、毎日の電話のやりとりが不毛すぎて、自分も弟も倒れてしまうので、理想の住まいどころではなく、サ高住を念頭に、やはり日常的にケアを受けられる場所に入るしかないのでしょう。

 いずれにしても、昨日の失敗は、母からの通話履歴に即座に反応し、自分のこれまでの努力を全否定されるような言動があり、それに激してしまったこと、これに尽きますね。

 こちらが激高することは、母の認知には悪い影響を与えるし、母のはけ口をふさいでしまうことになってしまいます。

 即座の電話のレスポンスは、自己満足に過ぎず、
夜7時以降は僕自身の心のスタミナも低下しており、原則電話に出ないようにする、
翌朝の、自分の周辺環境が整っている中で、落ち着いた気持ちで電話をする、
これを鉄則にしたいと思います。

 おそらく母は、前日のいざこざは漠としか思えておらず、誰に言われたかさえも混沌としており、そこを掘り起こしたところで、母にとっては過去の負の認知を思い起こさせることになり、意味のある記憶復元作業ではありません。

 まあ、なかなか、仕事しながらだときついですねえ。親の介護で離職する人が少なくないのは、この不毛な攻勢がますます激することを考えると、無理のないことなのかもしれません。でも、周囲の責任世代の多くが、これを背負っているんですよね。
 
 自分の尊厳を持ちながら、生き続けること、この難しさを知らされます。

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