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書くことで心に留める

 この2ヵ月ぐらい、仕事面では、日々の出来事はいずれも、対岸の火事、他山の石、殷鑑遠からず、といった感じであり、物事が僕自身に「直撃」するようなことはなく、自分との距離感に応じて、感想を抱くにとどまっています。
 
 それこそ、管理的な立場になってからはずっと、離れたところで出来事を眺めるということはなく、少なくとも近傍に落ちた岩の破片が当たるぐらいのことはあって、基本は直撃、当たりどころ悪ければ数日間は再起不能といった感じで、気の休まらない日々を過ごしてきたところです。

 そういう意味では、今は自分の中の別な可能性を引き出し、新天地への飛び立つ、格好のタイミングといえるので、自分の中の経験や知見を売り物ににすべく、いろいろな道具を用いて、磨いているところです。

 おそらく、こうした意図せざるモラトリアム期間は、あと1回巡ってくるかどうか、その時に僕自身の体力がどれだけ残っているのかわかりませんので、今回のチャンスは、大事にしていきたい。

 日々の生活の行動パターンは、身心が我がものとしているので、僕自身、少しの感情を動かし、手を動かすことで、一日は簡単に過ぎ、週は終わり、1ヶ月が到来するんですよね。

 外部要因により普段の生活が破壊されることのない、今の環境に感謝していますが、波乱のない旅は平坦で、後から振り返ると単調でもあるので、その時々の僕の心の動きの痕跡を記録していかないと、わだちはあっという間に風化し、跡形もなくなってしまいます。

 こうした平坦な道の歩みは、心に大きな変化をもたらさないため、精神衛生上は良いのですが、そのうち、心が安逸を貪るようになります。そうなれば、現場は最小の労力で目の前の危機を乗り切ることをまず考えてしまうため、ルーティンの日々が抱える問題点は改善されることなく、貴重な変革の機会を逃してしまいます。

 ルーティンに取り込まれないためにも、自分の立ち位置から引いて見て、現場を離れた自分の時間の中で、日々の出来事を総括し、自分の心の動きを理解し、そこを書くことで心に留めて、日々の行動原理に反映させる、こうしたサイクルを回すことで、少しずつでも自分の可能性を広げていくことが、後半戦の人生の質を維持するうえでも、重要なことと考えています。

 時に、これを書いていて人に届くのか、読んでもらうに値するのかを、考えてしまうことはありますが、そこは書くを生業にしているわけではないので、無理に価値提供につなげる必要はない、
ただ、いつまでも同じところでオチなき話を続けるのも、自分も疲れてしまうため、書くことを繰り返すことで、少しでも上方に行けるように背伸びし、最終的には飛び移る物語を、手にしたいところです。

 

 

 

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