職人気質で仕事を仕上げる
昨日は職場で、仕事観のようなことについて盛り上がりました。
法務というのは、少なくともうちの会社においては、職人集団であって、特に法務審査の担当は、攻めにせよ守りにせよ、今までの仕組みや、事業のスキームが変わる場面においては、改変の過程で、抜け漏れが出ないかを徹底的に洗い出します。
事業環境の変化に取り残されないためには、変化していくことは不可欠ですが、それに対応して仕組みも変えていく中で、いつの間にか手続きが不十分なものになってしまい、後になって問題が顕在化することがあります。
このへん、なかなか言い表しにくいのですが、企業の不祥事も、世の中の仕組みが複雑化する中で対応しきれずに、結果的に法的に不備が出てしまった、ということも、少なくないように思います。
法務は、こうした事業活動で後ろ指を指されないように、穴を埋める地道な取り組みをやっており、これは新規の事業展開に比べると、目立たないわけですが、
じっさい、自分がこうした部門を統括する立場になってみると、戦後80年を迎えようとする中、社会の仕組みが抜本的にスクラップされたことがないため、社会の変化や時代の要請にあわせ、どんどん家が増改築されているような状況で、あまりに複雑すぎて、誰もが全体像を把握できなくなっている中、リーガルチェックをするのは、本当に骨が折れると感じます。
こうした地道な作業は、何らかの使命感を持って、自分なりに妥協を許さずに一気に突っ走るような気合が求められ、毎日、決まった時間に来て、帰るような生活を優先したい人には向いていません。
話を聞いてみると、人生にとって一番大事な時間の大半を使っている以上、自分の納得のいく仕事を、できれば楽しく取り組んでいきたいという思いのようであり、なるほど、こうした地道な作業の繰り返しは、職人気質で何か一つの作品を作り上げるような思いがないと、できないだろうなと思いました。
人生の使いどころというのは、人それぞれであり、そこが見出されれば、生き生きとしてきます。お金や地位は、自分が何者になると決めて行動した結果に、付随するものであったり、あらまほしき自己の実現に向けて、ショートカットするために使う便利な道具に過ぎません。
お金や地位というモノを手に入れるために行動を起こすと、どうしても無原則になり、自分の中でも腑に落ちない部分が増え、手に入れても、上手な使い方ができずに、執着心だけが強くなり、傍目からみると、無様な生き方をすることになってしまいます。
いずれにせよ、自分が生き生きとなれる仕事を見出し、その対価として、少なくとも食うに困らない収入を得る、シンプルですが、この基本の型が早い段階で確立できれば、少なくとも、自己完結の世界においては、人生の成功者といえるかもしれません。