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足元が崩れゆく実感

 昨日は社内の事情について同僚や先輩職員と飲みながら話をする機会がありました。

 驚いたのは、組織の中で将来を期待されていたような若い人材が、平気で中枢の部門を辞めて、出て行ってしまっているという事実です。

 どこも人手が足りず、特に優秀な人材となると、引き抜きが行われているような話を聞きましたし、そうした先の見通しが立たなくても、辞めても何とかなると思わせる雰囲気があり、じっさい、年度末にそうした人たちを何人か見てきましたが、社内で選抜された人の中で、そうした動きが出ているのをみると、足元が崩れているなあという危機感を覚えます。

 確かに、うちの会社の場合は、個人のスキルを高めて、そこを拠りどころとして、自分の武器として使いこなすというより、組織が武器をその都度、貸与し、貸与した武器の扱いに習熟する、武器が特殊なこともあって、そういう縛りがあるように思います。

武器自体は持ち出せないということは、いつまでたっても組織の外には出られないので、自ずと、組織忠誠が求められるようになりますが、組織の持続性に対する信頼が揺らいでおり、武器が借り物であることに危うさを感じ、多少のリスクはあっても出て行ってしまうようです。

 人事ガチャによるサプライズも、僕ぐらいの世代になると、組織の中にあっての異文化体験と前向きにとらえることもできるのでしょうが、今の若い世代は、社会情勢の変化から、成果を早い段階で出すことを求められている状況にあり、そうした焦りが、ロングスパンで人材育成を考える、うちの会社の鈍重さのように苛立ちを覚え、見切りをつけるところに追い立てている面も、あるように感じます。

 一人ひとりの人生は、長くなっている一方で、先行きが不透明なので、早めに果実を得て、この社会での自分の成功の立ち位置を確立させたい、その気持ちはよくわかりますが、一方で、では、成功の立ち位置を維持し続けることができるのかとなると、そこからは「落ちない」戦いを求められることになります。

 攻め続けることも大変ですが、城を手にしてしまうと、皆が城を落とすために群がってくるので、一時的な安心は得られても、得たものを失わない戦いに必死にならざるを得なくなります。

 このとき、成功法則に普遍性があれば、次々と城を落とすことは可能ですし、そのうち、いくつかの城を後進に落とされたりはするものの、自分の成功の立ち位置を変えながら、人生のステージを歩んでいくことができます。ただ、この戦い続けるというのは、よほど仕組み化しないと、気力体力の消耗戦に巻き込まれ、生活設計はガタガタになるリスクもあります。

 敷かれたレールを歩むことは、どこに連れていかれるかわからない危うさの方が大きく、最初から自分でなんでも考えて行動しないと、よりよい人生を歩めない、思考停止が許されない社会になりつつあるので、これでは、途中で心が焼き切れる人もいるでしょうし、自分の生活の幅を広げるとか、家庭を持つとかいうところに、心を致す人が減るのも、無理はないのかもしれません。なかなか、スペックの高い人はいないものです。


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