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母との朝夕の電話から得たことを糧に、自分の未来をより良いものにするための行動変容につなげていく

 最近、僕は母との電話を朝夕の2回、欠かさずしています。

 きっかけは、母が初期の認知症であるとわかったことにあります。

 少し前までは、週に2回、朝にだけ、義務的に電話をしていました。

 深呼吸をして、落ち着いたタイミングでないと、電話口で喧嘩になってしまいます。当時は二言目には、引っ越したい、なんでこんなところに住まわせて放置しておいたと、朝から決まって責められるから、僕も身構えて電話をしており、しかも早く終わらせたいというオーラを出していました。

 思えば、母の方も、僕からの電話ぐらいしか、話す機会がなく、次はいつ電話かかってくるかわからない、寂しくて不安であり、しかも一人で家の中で考える時間だけはたっぷりあるので、たまの電話というのは、数少ない「捌け口」であることがわかってもいたので、毎回、その負の感情の塊を受け止めるのが嫌でした。
 
 今は、まず、毎日、朝夕と電話がかかってくることがわかっているので、母も安心して、過ごせるようになったようです。日中に不安や不満を抱えることもあるようですが、それも大きく育たずに刈り取っている感じです。

 僕の方も、電話するときのプレッシャーが小さくなり、週2回の電話であったときの、朝のストレスはだいぶ小さくなりました。

 また、朝夕の電話をすることで、その日に何をするのかを朝に聞いて、夕方には何をしたのかを聞く、そうしたサイクルになることで、母も日中、行動しようという気持ちの「張り」につながり、一日、部屋に閉じこもるのではなく、少しは散歩するとか、買い物をするとか、バスに乗るとかするようになっています。

 認知症になったものの、以前に比べても活力が蘇ったようであり、認知症との診断結果が出た直後の不安感とか、失われゆく何かへの焦燥感のようなものが、今は和らいでいるように感じられます。

 もちろん、油断は禁物であり、時には荒れることもあるようですが、少なくとも、こちらから電話を朝夕に振り込んでおけば、夕方に怒りの気圧が発達して、暴発することはないように思います。

 昨日、電話した感じでも、今すぐにケアの手厚いサ高住に入らなくても、自活できるかも、という感じでしたので、介護保険のデイサービスなどを受けながら、自立した生活を営むのもありかなとは思いましたが、
一方で、先のことを考えると、認知症は確実に進行はするわけで、母がいろいろ判断できるうちに、決めておいた方がいいのは確かであり、サ高住への転居に向けて進めることは、やはり必要なのだと思います。

 一点、こうなってみると、父が亡くなった直後から、こうして朝夕に電話しておけばよかったのかな、と思いもしましたが、当時は月に1、2回、顔を合わせれば十分という感じでしたので、そこまで急に気持ちを切り替えることを自分に求めるのは、難しかったでしょうね。

 また、ここまで、父が亡くなってから、実家の片づけを進め、母を賃貸に転居させ、不用品の多くを処分し、家を売却し、今度はサ高住に住み替えてもらうことで、さらに持ち物をミニマムにしようとしています。

 おそらく、あと10年後とかに、同じことを一気にやろうとしても、自分も10年、歳をとるわけで、結構きつかっただろうなと思います。
それに社会がどう変化しているかもわからないですから、ある程度、身軽になっておいたほうが、変化に対応しやすい面はあります。

 あとは、自分自身が、変化の時代にあっても、どこでもある程度稼げるだけのスキルを身につけることですね。組織に頼るところから、自分の持てる強みを棚卸しして、自分で稼ぐことを志向することが、来るべきリスクに備えることになります。

 母の話から、少し外れてしまいましたが、何事も、起きたことを前向きに解釈し、自分の差配可能な現在と未来は、できるところは今からでも改善していく、そうした気持ちで、今日も一日過ごしたいと思います。

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