後講釈
感染症拡大時に急ぎ国が創設した、特例的な生活資金貸付のうちかなりの額が、回収困難になっており、制度設計が甘かったのではないかという記事が今朝の新聞に載っていました。
後講釈の極みのような記事ですね。今でこそ、感染者数が増えて、保健行政の現場は年末年始に休みなしの対応をしていても、そんなことはほとんど取り上げられず、3年ぶりの開催とか、鉄道の利用者は回復したとか、制限なしの年末年始とか、長いトンネルを抜けたかのようなニュースが主流ですが、当時は、感染症による行動制限により、経済活動は縮小し、それに伴う事業者の苦境や、職を失った生活困窮者への対応は、待ったなしという状況でした。
おそらく、当時、制度設計が甘いから、返済が担保されるような仕組みをしっかり作ろうなんて言おうものなら、袋叩きにあっていたことでしょう。
この生活資金の特例貸付のみならず、中小企業へのゼロ金利貸付や、飲食店への支援金、影響を受けた企業への支援といった経済対策は、いずれもゆるゆるの仕組みであり、飲食店への支援金は、感染症に社会全体が右往左往していた当時でさえ、相当な批判はありました。
医療現場の方も当時は混乱を極めており、対応の遅れの責任を押し付けられた地方行政の医療部門は、国からバラまかれたお金を元手に、限られた医療リソース確保のために、お金を積み上げて奪い合うような構図になりましたので、後講釈では、批判される要素は満載だと思います。
ただ、今回の生活資金の特例貸付にしても、過去の東日本大震災時の貸付にしても、先の見通しが立っているような人は、借りないですし、借りてもすぐに返していると思います。他に頼る先がない人に、担保を求めずに貸し付けたわけで、そこを制度設計が甘いとか、審査がゆるゆるだったのではないと言われても、現場の担当者の方々は、今も回収困難と思われる先に督促の電話などしているわけで、そうした絶望的な努力をしている人をその業務から解放する、言うなれば、そんな無理な貸付制度は、お金を配ったことにしてしまい、社会福祉行政の最前線の人たちや、その委託を受けてそうした空虚な業務に従事している人たち、そうした人的リソースを、より生産性の高い業務に振り向けないと、この国の生産性はいつまでも上がらないように思います。