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尊敬する元上司との久しぶりの出会い

 今日から6月ですね。土日以外に休日がなく平日はフルに稼働できるのですが、例年、6月は意外と記憶がなくて、何となく過ぎていったような気がします。

 今、僕の手元に、来年度に向けて骨の折れる準備が必要な事案があり、社内の合意形成を考えると、6月中にドラフトは固めておかないときつくなるので、昨日から、頭出しのところと、課題解決に向けた論点の抽出をはじめたところです。

 何せ、最終目標が壮大な壁画の貼り替え作業であるため、いきなり本番に取り掛かると、途中で自分の立ち位置が分からなくなり、頓挫してしまいますし、そもそも、取り掛かるまでに気持ちを高めるのに、時間がかかってしまいます。

 とにかく、論点を強引につくり、その論点ごとに分業制にして仮説を立て、仮設を組み立ててみて全体のバランスがおかしければ、仮設を補正し、技術的助言を得て、最終的にトップの判断まで持ち込む、そんな感じで進めていきたいと思います。

 さて、5月の最終日の昨日は、仕事のあいまでスポット休暇をもらい、母のフォローをしました。

 一週間いないと、内面でネガティブ思考の毒素が回っており、認知にも悪い影響を与えているのがわかります。まずはそこから受け止め、毒素を吐き出させて、言葉のキャッチボールにより、栄養素を与えることで、心も元気になってもらう、根源的なところは解決しないしできないけれど、対処療法は生きるためには必要であり、そこは割り切って、ケアを続けるしかないのかなと思います。

 昨日は夜は尊敬するかつての上司との飲み会で、その人は一線を退き、悠々自適の生活をしているのですが、現役時代も「のみ込む力」は抜きんでており、安心して仕えられる人でした。

 基本的な理解力は大事ですが、そこから先は頭の良さとか資格とか学歴はあまり関係なく、胆力、どんな話が来ても「そうですか」とまずは受け止める力が大事だと、最近、組織の上に立って痛切に感じており、それを体現していた、この人に対する尊敬の念は、大変強くなっています。

 去るほど日々に懐かしく思い、久しぶりに第三者を介して飲み会をセッティングしてもらい、再び、SNSでつながる関係になった、僕にとってこれは大きいです。

 帰りの電車の中で、僕の現在の母親に対するフォローの状況を話をしたところ、その元上司も役員だった時に、ちょうどそうした状態に陥り、一人残された母親のフォローに入らなければならなかったそうで、当時は最重要幹部であったことから、簡単に会社を抜けることができず、心の中では泣きそうになったようです。

 ただ、お母様が亡くなり、時間が経過してみると、親と向き合った時間は貴重で、人間力を高めることにはなったとのこと。

 人間、歳を取ると自分の周りしか見えなくなって、若いころの自分の苦労はすっかり抜け落ち、周りの都合の良い話だけを信じるようになります。

 子供世代からすると、こうした親の認知の変化は、たまったものではないものの、そこを逆戻しにするのは不可能なわけで、受け止め、なるべくストレスのかからないかたちで受け流し、それを相手には感じさせない、そんなスキルを身につけるしかないように思います。

 自分の年老いたときの教訓にしたくとも、おそらく年老いた自分は、同じように視野は相応に狭くなるはずで、体と同様、頭も相応に老いていくと、新しい要素を理解できなくなる分、頑迷になってくるのだと思います。

 ただ、体と同様、頭についても、そうした構造を理解し、トレーニングして、構造的にも常に新しい要素を採り入れられる「出島」のような、外に開いた場所を開設しておく、これにより、頑迷の殻に閉じこもらず、なるべく若さを維持して、人生を全うしたいものですね。

 今でも若さを維持している元上司を見て、自分もかくありたいと思いました。

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