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哲学など学んでも何の役にも立たないと言われる。
科学に比べて有用性に乏しい上に、全てに疑いの目を向けることで、哲学を学ぶ事でかえって自己不安におちいるだけだ、とも言われる。
そう言われると俄然、興味が湧く性分。
社会のあらゆるモノをバカじゃない?という目で見ている、元来あまのじゃくな僕は、そんな何の役にも立ちそうにない哲学に強く惹かれた。
20代のある時期、哲学書ばかり読み漁っていた時期があった。プラトンのロマンチックな熱い弁証法にどハマりし、どこに行くにもプラトン全集を持ち歩いていた時期もあった。
アリストテレスやヘーゲル、スピノザやカントetc..。むさぼるようにいろいろ読んだが、読めば読むほどますます何が何やら分からなくなっていく。これは確かに何の役にも立たないかも、と思った。
逆説的だけど、自分が何も知らないという事を知る事が、哲学の最大の果実かもしれない。何かを知っているという事は実は大きな勘違いなのだよ、と若き日の傲慢な自分を少しは謙虚にしてくれたように思う。
たくさん読んで、たくさん考えた。
考えて考えて考え抜いて、結局こうではないか?と自分の頭で下す最後の決断は、結局自分が何を信じるかではないか、とある時気付かされた。
そして哲学はその決断の手助けをしてくれるように思う。
社会人になると、答えのない問題、正解のない問いに何らかの決断をしなければならない。そんな決断の機会が次から次にやってくる。
考えて考えて考えて抜いて(これがミソ。考えずに何となく過去の経験に基づくと誤る)、確信のない不安の中で、絶対的に正しい答えがない中で、下すべき決断を下す時、最後は勇気なのだということを、教えてくれたのもまた哲学だった。
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