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お久しぶりです、カナダから帰国してあっという間の1年でした。


2022年の12月末、日本での仕事を辞めてカナダへ発った。
交際中の彼と大切な友人がたまたま同じ時期に滞在することになったトロントという都市にわたしも呼ばれているような気がした。

はじめは穏やかに海外暮らしを楽しもう〜なんて考えていたのだけど、結局はアメリカやヨーロッパを旅行したり、決まった仕事を断ってまで福祉職に挑戦したりと、未熟なりにも精一杯の時間を過ごすことになってしまった。

そして、丸2年が経ってやっと当時を客観的に振り返りつつ、これからのことを言葉にして表現できるような気になってこのnoteを書き始めている。


カナダでの暮らしについては、こちらでも!




1.カナダでの話


トロントに到着して1週間も経たないうちにNew Yearを迎え、街の中心地でお酒を飲んで花火を見てフラフラになったことから思い出す。

さっそく1月中には市内に住む全身麻痺のカナダ人男性とのアルバイト面接を受けた。日本が好きな方だったこともあり、週1回程度のお仕事をもらった。部屋の掃除をしたり、一緒に食事をしたり、慣れない海外生活の相談にも乗ってくれた。

2月にシェアハウスへ引っ越して、4月にアメリカの3都市をまわる旅行をした。春を迎えたニューヨークは幸せそうで、念願だったグランドキャニオンの後で見たロサンゼルスの貧富の格差は生々しく心が痛んだ。

それからフルタイムの仕事探しをして、夏に向けて募集のあったアイスクリーム屋さんの花形であるワッフルコーンを焼く仕事をもらった。海外らしい雰囲気のお店が好きではあったが、もっと自分にしかできない仕事がしたいとの思いが消えずにスカウトされたケアギバーの面接に赴いた。

それはミシサガという隣の市にあるお家で、インド出身の老夫婦を平日だけ住み込みでサポートするという内容だった。驚いたのは、その場で給料を提示するように言われて紙とペンを手渡されたことだった。

月2800ドル。同棲していた彼と相談の上、わたしは挑戦を決めた。彼らの性格や好みに合わせて、食事の準備をしたり用事をこなしたりすること(例えば、マザーの朝食のオートミールはココナッツミルクで程よく煮詰めるとか)は好きな作業だった。

しかし、夏本番を迎えるタイミングで事件が起きた。彼らがゆくゆく移住を検討している(すでに別荘を所有している)トルコへ旅行をすると言い出して、およそ3ヶ月程度を同伴するように依頼された。

彼らは長期旅行ができるくらいには健康で元気だったので断ることもできたが、やっと手にした仕事を失うことも怖かったし、彼や友人が背中を押してくれたこともあり、わたしはトルコ行きを決めた。


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