放っておく ライフスタイル?
皆さん、おつかれさまです。昨日は、少し現実逃避してみました。
そういえば、このnoteは、ほぼ読み返しせずに投稿しているので、文章がおかしいかもしれませんが、ご了承ください笑
多分ですけど「、(読点)」が、かなり多いのではないかな?と思います。
まあ、本題です。
皆さんって、まず、どうしてもわからないことってありませんか??
しょーもないことでも、なんでも。
私が今、「どうしてもわからない」と思っているのは、「親友ってどこまでほうっておくべきなのか」ということです。
正直、私は誰かのことが心配になった時、「どこまで介入していいのか」がわかりません。正直、一生わからないんじゃないかとすら思います。
そりゃ、自分の中でどんだけ仲良いと思っていても、相手のことをわかってあげるには、限度があるかもしれない。
そりゃ私も、理解する努力はしますし、相手の話も、相手が話してくれるだけ聞きます。
そうなんだけど、じゃあ、どこまでわかってあげれるのか?
そう言われると、少なくとも私は、「なにも分かってあげれないんじゃないか」って思うんですよね。
だから、私は「こうしたら?」のアドバイスを思い浮かんでも、自分からはなかなか言えません。いや、言いません。
明らかに、その行為が、その人にとって危険だと思われる場合は、流石に止めます。ですが、それを止めるときも、私は「今回はちょっと、、止める側でもいい?」と相手に尋ねます。
じゃあ、相手に「どうすればいいの?」と尋ねられた時は?
その時は、自分の思ったことを言語化して、伝えているつもりです。その言語化の能力が、私に備わっているのかと言われると、自信はあまりですけど。
どこまで放っておいてあげればいいのか?
そして、どこまで相手に介入していいのか?
それが、私にはわかりません。
たまに、私のことを「淡白だ」という人がいます。相手に介入することを「避けるようにしている」のは、その原因なのかもしれません。
確かに私は、嫌いな人はとことん嫌います。
逆に、気に入った人はとことん仲良くします。
まあ、自分勝手です。
こんな事を言いながらも、本気で悩んだ時、私は具体案を求めます。
つまり、介入されたいのです。なぜなら、私は優柔不断だから。
もしかすると、「自身の優柔不断さ」がその原因なのかもしれない。
いや、その言葉が正しいのかはわかりません。
自分のことすら自分で決められない。自分って脆弱だなと思います。