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エッセイ|”幸福の木”に花が咲いて
うちの “幸福の木” に、花が咲いてしまった。
あー、困った。どうしよう…
ここでいう “幸福の木” とは、前に「エッセイ|変ッ身!幸せのカタチ」に書いたドラセナという観葉植物のことだ。ドラセナは別名、“幸福の木” と呼ばれている。
もともと勤務先の会社にあったのだが、大きくなりすぎて枝が切られた。それを同僚のSさんとわたしとで、1本ずつ引き取って育てている。
同じ木を親にもつのだから、Sさんの木にも花が咲いたはずだと思ったのだが… Sさんはいつになく、興奮してこう言った。
「えぇっ!? 咲いたんですか! スゴい! あれって、なかなか花が咲いたりしないのに…」と。
それはとりもなおさず、Sさんの木に花は咲いていないことを意味していた。
――― はぁ… もう、どうすればいいのだろう…
わたしは撮影した画像を、Sさんに見せて祈る。
――― どうか、違うと言ってくれ… このカリフラワーみたいなものは、花ではないと言ってくれ…
しかしSさんは、「あぁ、そうそう」と頷いてこう言ったのだ。
「ドラセナの花ですね」
しかしそう言ってから、(あれ?)というふうに画像に見入った。そしておもむろに口を開いた。
「あれ…? これってもしかして、突然変異…?」
「とっ、突然変異!?」
「うーん… 突然変異かも…」
![](https://assets.st-note.com/img/1707711949683-xkypIzpcKd.jpg?width=1200)
蕾(?)が開き始めたのを発見
すこし説明しておく必要があるだろう。
ドラセナは、リュウゼツラン科(ドラセナ属)の植物である。
「リュウゼツラン」ときいて、思い出す人もいるのではないだろうか…?
100年に一度しか咲かないという珍しい花が、どこかの植物園で咲いたことが話題になった。数年前のことである。
人の一生のあいだに、二度とは咲かない花 ――― という触れ込みで。
そのドラマティックな性質に感じるところがあって、リュウゼツランの゙名が心に残った。
さて、その話題の主、リュウゼツラン(リュウゼツラン科・リュウゼツラン属)についてもう少しだけ触れておきたい。
基本種は、アオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)という。実際の開花は、熱帯地域で10年~20年、日本ではそれより長くて数十年の生長後とされている。
開花まであまりに長いために100年かかると考えられて、センチュリープラントという別名がつけられた。
リュウゼツランは、世界に300種類以上あるそうだ。メキシコでテキーラの原料として利用されるのも、そのうちの一種である。
ただ、個体で変異を繰り返したりもするし、地域変異もあるそうで、どれだけの種類があるのかはっきりいってわからない。
一度だけ開花・結実したあと枯死してしまう。
枯れる前に新しい株を残すとか、種子や球芽や、ヒコバエで繁殖すると説明されている場合もある。その一方で、「開花後は枯死してしまう」としか説明のない場合もある。
種類が多いだけに、さまざまな性質があるのだろうか…? わからない。
さて、話をドラセナに戻そう。
とにかく同じリュウゼツラン科なのであれば、ドラセナだってそう簡単に開花したりしないはず。何十年もかかる可能性もあるだろうと、勝手に思い込んで安心していた。それなのに…
それなのに、サッサと咲いてしまった。
![](https://assets.st-note.com/img/1707712114744-lBDIs7UPuW.jpg?width=1200)
花茎が伸び始めた。
ここからは、人の話だ。
20年ほど前、“もの書き” になることが夢だった。
本を出そうとまでは考えなかったが、雑誌に記事を書いてみたいと思ったものだ。旅の情報とか、コラムとか。書いたものを活字にするのが夢だった。
まずは旅の雑誌に投稿をした。あまり投稿する人がいなかったのか、かなりの確率で採用になった。ほかにはライター養成講座がらみで、活字にして頂いたことが何度かある。報酬のあるものはほとんど無くてアマチュアのまま。収入を得られるプロに憧れていた。
それでも、養成講座を卒業したあと、プロのライターになるための活動を起こしたりはしなかった。
当時すでに、別の仕事に就いていたこともある。ライターになるための方法が、わからないということもあった。要領よく立ち回れないのだ。それに、何を書けばいいのか見つけられなかったということもある。
しかし本当は、もっと別の理由があった。
夢が叶うのが怖かった。叶ってしまった後のことを考えると、怖くなった。
花は咲いたら、あとは枯れるのを待つことになる。
もしも実現したら…その後はどうしていけばいいだろう? 自分に失望するかもしれない。やる気を失くしたり、生きる意味を見いだせなくなったりするかもしれない。
次々と夢を実現させて、アグレッシブに生きている人からすると、「なんのこっちゃ。わけがわからん」と呆れられることだろう。
臆病なのだろうか。夢は追いかけているときがいちばん楽しいという考えが、身についていた。
あるいは、そんな心配をしているうちは本当の夢ではなかったということかもしれない。
一つ夢を叶えたあとに、また次の夢を目指して頑張り続けられる自信や覚悟も無かった。自分自身に直面するのは怖いことだ。
その結果、小さな花が自然消滅して消えた。
![](https://assets.st-note.com/img/1707712393871-SuDJNcoSV2.jpg?width=1200)
このくらいになると、蜜が雫になって落ちてくる。
(それぞれの葉っぱの最下部)
粘着性があって、ポタポタと落ちることはない。
舐めると甘くて青臭い味がした。
50代になって書くこと以外の夢ができ、いまはその途上にある…といえる。一筋縄にいかないことはわかっている。
「叶えるのが怖い」などと悠長なことはもう言っていられない年齢だ。それになにより、今から奮起して一つ間違えば、それこそそれっきりで終わるかもしれない年齢でもある。
一念発起の最後のチャンス ―――
そんなときに育てはじめた ”幸福の木” だった。まるで自分の化身のように感じてもいた。それが、いとも簡単に小さな花を咲かせてしまったのである。サッと咲いて、枯れゆく花を。
なんとなく、縁起がわるい。
![](https://assets.st-note.com/img/1707713437171-tQM0VwvIJ6.jpg?width=1200)
垂れる密の量が増えてくる。
やっぱり舐めてしまう…この青臭い甘さ。
桜の儚さには美学がある。しかしその美学とはまた違った感動の物語を、人は欲しいと思うものだ。
「苦節100年」
リュウゼツランのような開花。地味で目立たないが、何十年かの重みある花。それだっていつかは枯れるに違いないが、サァっと咲いてパァッと散る花とはまた違った感動が、その散り際にはあるはずだ。
いま求めているのは、そういう開花なのである。
(了)
![](https://assets.st-note.com/img/1707713827208-1phkVtqrYM.jpg?width=1200)
一番上のところで、2cm✕1.5cm。
少し硬めの花。
![](https://assets.st-note.com/img/1707713916706-BETLJkwUk7.jpg?width=1200)
写真をうまく撮れないのが残念。
すこし紫がかっていて、
よく見るとキレイ。