ネガティブ思考のすゝめ
noteで行われている「春の連続投稿チャレンジ」にひっそり挑戦しようと思い、いつもハッシュタグ一覧を眺めてはああでもないこうでもないと考え、結局自分の言いたいことばかりを記事にしてしまう。
何故かと言えば、必要に迫られないのであれば実生活の話はしたくないという性分と、嫌いなものに目がいきがちな嫌味な性格の相乗効果で、書き出す気持ちが鈍っているからである。加えて、好きなものは広めたいと同時に出来るだけ隠しておきたいという矛盾に溢れた性格であるのも、逆方向に背中を押しているのだろう。
基本的に私はマイナス思考であり、万事に対して悲観的である。最近は意識して改善しようとしているが、ポジティブにはなれないと諦めている。大抵のことを疑い、批判し、可能性の模索という体で逆張りばかりしてる人間のどこにポジティブ要素があるというのか?
そんな私だが、幾度かネガティブを治そうと試みたことがある。そういうときは大抵、なんとはなしに気分が下り坂で、このままではいけないという思いに駆られていたときで、手当たり次第に「自己肯定感の高め方」とか「ネガティブ思考から抜け出す方法」とか、そういうことが書いてあるサイトを見て回った。
結果、余計に気分が落ち込んで何も手につかなくなった。
当然と言えば当然である。追い込まれて何かに縋っていい結果になった事例など、古今東西探して片手の指の本数ぶんあればいい方だろう。自ら思い立って行動するのは勝手だが、本当にそれがお前の性に合っているのか見極めているのか? と過去の自分に問いただしたい。
今までのNoteを見て頂ければ薄々勘付いておられるかもしれないが、自己肯定とは無縁の人間である。気が付けば自分を否定しているし、否定ばかりの自分を否定して更に自己嫌悪に陥り、余計に身動きが取れず自己否定をして、なんてことを無限に行って収拾がつかなくなるのは日常茶飯事だった。
「自己肯定感の高め方」によくある方法を試したところで、
小さな成功体験を増やす→「こんなに小さなことすら出来なかった」or「こんなこと誰でも出来る」と否定
成功体験を思い出す→「そもそも成功などしたことがない」と否定
短所を長所に置き換えてみる→「短所は短所だ」と否定
他人ではなく過去の自分と比べてみる→(元気な頃と比べて)「出来るようになるどころか出来なくなったことの方が増えている」と否定
自分を褒める→「褒めるとこなんかない」と否定
……気分が悪くなってきたのでこの辺りにしておくが、上記のような有様になり、「自己肯定感なんて高められない! 無理だ!」と底なし沼に沈んでいく。他人から褒められようと慰められようと「そんなことない!!」の一点張りで何が違うのかも説明できない。我ながら阿呆にも程がある……。
他人は許せるけれど自分のこととなると看過出来ないという、これまた難儀な性格をしていたのも原因だろう。他人が休んでいるところを見ても「たまには休息も必要」だと素直に思えるが、自分が休むのは「怠惰」だと断じてしまう。他人のミスは「人間誰だってミスはする」と思えるが、自分のミスは「能力不足」の一言。そりゃあ機能不全にも陥る訳だと、振り返るたびに嘲笑が漏れる。
こんな思考法のままでは自己肯定とかポジティブとか以前の問題だ。「すぐ否定してくる人から離れよう」と言うが、一番自分を否定するのが自分自身なのだから世話が無い。
だから私は、「もうこのままでいいや」と匙を投げた。
成長しないこと、出来ないと諦めることはあまり好きではないが、どうしたってものごとには向き不向きが存在する。芽の出ないことにいつまでも労力を払うのもそれはそれで好きではない。故に諦めた。
そうしたら、あれこれ頑張ってたことが馬鹿らしくなる程に楽になった。といっても少しだけだけれど。
以前、ネガティブな思考を押さえつけようとするのはポジティブ(肯定的)ではなくネガティブ(否定的)だという論調を見掛けたことがある。自己否定を辞めようと自己否定をしていては、悪化して当然だ。熱を下げようとして冷や水を被ってそのまま放置しているのと同じだ。そんなことはしたことがないが、自分の精神に対しては同じことをしていたようだ。
どうしてこんなに自己否定のスパイラルに陥っていたのか。いくつか要因が思い浮かぶが、そのうちの一つに「成長出来なくなる」という思い込みがあったのだろうな、と思う。現状を受け入れず、このままでは駄目だと焦る気持ちが無いと私は変わらない、変えることが出来ない。そう思っていた。
しかしこの考え方では、現状がマイナスの状態から出発している。そのためどれだけ足掻いたとしても、スタートラインに立つだけで、更にそこから変わる必要がある。いくら強靭な心を持っていたとしても、それでは折れてしまうことの方が多いだろう。
そして、現状を否定せずとも自身に成長を促す思考法は出来る。「今のままでもいいけれど、ここをこうしたらもっと良くなるよね」と、現状を受け入れつつも改善点を見出すことが出来ればいい。そうすれば出発地点はゼロ、或いはプラスからとなり、足掻けば足掻いた分だけ結果はプラスに動いていく。これならば足掻く価値を見出しやすい。
ところが私は前者の考え方に囚われていた。その上後者の考え方に触れても「いやいや、私はそもそも現状駄目だからその考え方は出来ないよ」と否定していた。一体何がそんなに駄目だと思っていたのか、今の私には理解……出来るが、それで動けなくなってりゃ世話ないよという思いが勝る。
小手先の技術でどうにかしようとするのではなく、まず一旦自分を受け入れてみるということこそが必要で、それこそ自己「肯定」だったのに、随分回り道をしてしまった。
私ほど愚かで頭の固い阿呆は居ないと思うが、もしこれを読んでいる中に、私以上の袋小路の世界に迷い込んでしまっている人が居るなら、どうか一旦立ち止まってみて欲しい。そちらには出口は無いし、何なら更に視界は悪く足を取られ、身動きが出来ない底なしの罠に嵌る可能性すらもある。
それから私の言葉を読んで欲しい。こんなどうしようもない奴でも生きている。こう言うと袋小路の貴方は「○○で××で△△だから自分の方が駄目だ」と思うことだろう。それが褒め言葉なら間違いなく貴方に向けるべきものだし、否定の言葉ならそれは間違いなく私に向けた方が相応しい。
「そんなことはない」と思うなら、是非反論して頂きたい。私は討論相手に飢えているから、きっと楽しい議論を交わせるだろう。それでも考えが変わらないのなら、どちらがより悲観的か、悲観自慢でもしようじゃないか。
自分のネガティブに誇りを持てるようになるまで、相手になってやろうじゃないか。