本に直接書き込むことに対する一意見
私は何でもかんでも疑ってかかる。これはもうMBTIなどを通り越えた私の本質だと思っている。以前はすぐに疑ってかかる自分が好きではなかったが、今は諦観にも似た受け入れ態勢を整えている。
そんな私だが、ただ疑ったり批判したりするのではなく、自分に挑戦出来ることであれば挑戦してからケチをつけようという腹積もりで過ごしている。最終的にケチをつける気満々であることは否めない。
今までNoteに掲載したことでいえば、朝に創造的な活動をすることが挙げられる。大分懐疑的だったが、現在は一部効用は認めつつある。曲がりなりにも、批判するにはまず試してから、という、ひねくれ者なりのポリシーがあるのだ。
所謂毛嫌いは出来るだけなくそうと努めているのだが、それでもどうしても受け入れられない行為がある。本来なら触れずにスルーすることが賢い選択なのだろうが、最近立て続けに目にしたものだから議題に挙げたくなってしまった。
本に書き込むこと
皆さんは、本に直接書き込むことを許せるだろうか?
私は断固拒否の立場である。
本への書き込みを提唱する方々曰く、本に直接マーカーを引いたりメモを書き込んだりすることで、脳への定着力と理解力が段違いによくなるのだそうだ。
まあそれは是非とも試してみたい魅力的な言葉である。しかし私には一生出来そうにない。
学生時代、教科書には大量に……、というのは嘘だな。人並みには書き込みをしたし、マーカーでラインを引いた覚えもある。トンボのマーカー(黄色)を愛用していた。
教科書に対しては割り切ることが出来た。本という意識が薄かったのもあるし、教科書や問題集はむしろ書き込むことがステータスだと思っていた。ボロボロになるまで使い倒すことが格好いいと思っていた。
だがしかし、待って欲しい。本にそれをやるのは私には出来ない。とてつもない抵抗がある。勿論読み倒してくたくたになることは仕方ないし、それもそれで美しいと思う感性は持っている。しかし書き込みは生理的に受け付けない。何故だろうか、自分でも理由は分からない。
汚れるのは許容範囲
先も述べたが、買ったときのままの姿を保っておきたい! という訳でもない。読んでいればどうしたってページは寄れるし、鞄に入れておけば擦れてしまう部分もある。美しい姿を保っておきたい欲求はあるが、土台無理な話である。それをしたいなら保存用にもう一冊用意するしかない。
実際、私の愛読書は大体よれよれである。心が痛まないでもないが、何度も読んだ証であり勲章であるとして、恥じ入ることは無い。
本への書き込みを推奨する本に出会ったとき、著者に「綺麗に読んでフリマサイトやアプリに出そうと考えているのなら〜」などと忠告を受けた。しかし私はそんなつもりは毛頭ない。何故苦労して手に入れた本をわざわざ売り払わねばならぬのか。売り払うために綺麗に読みたい訳ではない。出来ることなら綺麗な形を保ちたいという、ただそれだけのことだ。
大事にしすぎてそのもの本来の価値を有効活用出来ないのは勿体ない。その考えも分かるのだが、私にとって本は書き込まなくたって価値を発揮出来る代物だと思っているから、互いの考えは平行線のまま交わることは無いだろう。宗派の違いである。
そもそも直接書き込まなくても……
理由は不明だが、恐らく生理的嫌悪という、感情的要因以外に、純粋に有用性を感じないということもある。直接書き込む派の方々には申し訳ないが、そもそも書き込まなくたって覚えていられるだろう? という疑問が頭から消えてくれない。
誰かに話すこと前提、つまり記憶すること前提で記憶している(謎のトートロジー)人間なので、直接書き込みを入れたくらいで劇的に記憶力が向上するかと言われると疑問でしかない。誰かに伝えること前提で記憶しているから、それなりに理解も深めているつもりだ。分かったつもりで足りていない可能性もあるが。
記憶力も理解力も向上させられるとして、10→60に向上させるならともかく、70→90に向上させるために自分の美学を捻じ曲げる必要性を、私は感じられない。自信はないのでもしかしたら10の位置に私が居る可能性もあるが……、いくら自分不信とはいえど自分を信じてやりたいくらいの記憶量は保持している。
更に言えば、直接書き込まずとも、ノートに書けばいいのでは? という疑問もある。実際、私は疑問に思ったことや勉強になると思ったことは、読書ノートに都度書き込むようにしている。正直時間はかかるが、ノートを事前に開いておいて読書をしながらノートに書きこむのと、本にそのまま直接書き込むのと、そう大差無いように感じる。他に後者のメリットを挙げるとするなら、手荷物が少なくなることくらいだろうか。やはりそこまでのメリットには感じない。
結局
「記憶に残りやすくなる」「理解力を上げる」という点だけがメリットなのであれば、正直なところわざわざ本を汚す必要性を感じない、というところが私の結論である。生理的嫌悪を超える有用性を感じないと言い換えてもいい。
まあ、やりたい人がやればいいということであって、やりたくない、生理的に受け付けない私のような人間はそもそも商売相手ではないということなのだろうが……。
自分が受け付けないからと言って、特定の手法やその手法を好んで用いている人を馬鹿にするのは醜い行為だ。故に私も本に直接書き込むこと、本に直接書き込むことを推奨する人のことは馬鹿にしない。決して。
だがしかし、どうしても疑問は残る。本当に書き込まなければならないのか? どれくらい記憶力、理解力が向上するのか? 書き込まないときと比べてどうなのか? 他にもメリットはあるのか? ノートや他の媒体を介するのでは駄目なのか?
……自分で調べろという話ではあるが、実際手法を用いている方に話を聞いてみたいところである。その際は質問攻めにしてしまうかもしれないが、我こそは私を改宗させられるという猛者の方は、是非名乗り出てはもらえないだろうか?