わたしの活動を 邪魔するものたち
つい先日、30〜40代の女性が、地域・社会活動に参加しやすくためには?といったテーマで話し合う場に 声をかけていただいた。
結婚し、妊娠・出産、もしくは家族の看病、介護などを機に、仕事を辞めて、主婦となった 自分と同じような立場の女性たちのことを主に意識しつつ、現状や意見は伝えたものの、改めて一人考えてみると、他にも参加しにくい理由はあるよなぁ…と思い、ここにいくつか書き出してみることにした。
それでいくらお金がもらえるの?
おそらく、最初のハードルとなるのが、この一言じゃないだろうか?
地域活動とよばれるものの多くが、ボランティアで、当然無給。中には、謝礼や交通費が支給されるような活動もあるが、ほとんどが無償で活動するもの、逆に参加費などがかかる場合もある。自分が発起人となって、ゼロからスタートさせる場合では、そんなことお前がやる必要あることなのか?一体何の得があるのか?とまで言われてたこともある。結局、家族からは趣味程度のものとしか理解されず、その一言に押し負かされてしまうか、家事や育児が負担となり、地域・社会活動への参加を断念してしまう。
自分が仕事をしていなければ尚更だ。働いていない者は弱いと身をもって感じている。
そこに誰がいるの?男はいるの?
次にハードルとなるのが、このような言葉だ。周囲はきっと、あなたのことが大事だから、変な人に何か悪いことをされたりしないか、騙されたりしてはいないかと心配しているんだよ…そんな言葉をかけてくれるかもしれない。
しかし、集まりや活動がどうだったかに加え、どんな人が来ていたのか、そんなことを毎回事細かに話していると嫌な気持ちが増してくる。相手が無気力で、興味を持って聞いてくれていないのであれば、なおのことやるせない気持ちになってくる。
私は誰かのお飾りになりたくて、ただ可愛がられたくて結婚したのではない。
肩書きもない 力不足の私にできることなんてない
以前、ある集まりへ行った際、登壇者を含め、参加者の多くが 各分野の知識人、有名大学に通う若く、意欲的な学生ボランティアたちばかりだったということがある。そのとき「あぁ、私みたいにこれといった 特別な肩書きや経歴もなければ、若いエネルギーも秀でた資格もない、仕事もしていない子育て中の主婦にできることなんてないよな…」とその場にいる自分がとても惨めに思えた。
今でこそ、日々家事・育児をし、いわゆる「イチ専業主婦」として思い感じてきたことも地域社会には欠かせない、大切な意見の一つだと理解している。また中には、家事や育児の合間、寝る間も惜しんで勉強し、資格を取得したり、大学に通ったりしている女性もいて、そんな彼女たちのキラキラしている姿は努力あってこそなんだと尊敬する。ただその一方で、なぜそこまで身を粉にして行動しなければ、女性は自分らしくいられないのだろうとも思う。
次回以降は 今のきっかけとなったこと、今後の活動について書いていくつもりだ。