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感情には裏表などなく、ただ生きた分だけ積り続けていく。

世の中、正解か不正解なのか、はっきりさせたがる傾向にある。

この世界に正解はない。
正解とは選択し決めること、と以前書いた。

同じように、感情というのも、世界不正解は無いし、
プラスマイナスも、裏表もない、と考える。

どの感情も、常に同時並行に存在していて、
常に日々累積されていっているのではないだろうか。
それこそ塵が積もるように。

今その瞬間、どの感情の累積が高いか、
一番高く積もっている感情が、自分が認識している感情なのではないか。

冷める、という言葉があるが、あれは本来の意味では"覚める"、
累積値の最上位が切り替わる、ということだろう。
昨日まで愛してたはずなのに、今日はあなたを憎んでる、的な。
たった一つの感情だけを認識しているときも、
他の感情も日々降り積もっているのだ。

さらに、人にはテンションというものもあり、
それによっても、認識できる感情は日々変化するのではないかと思う。

テンションが非常に高い間には、意識していなくても、
テンションが低くなると意識に上ってくる。
だいたい、人間小難しく複雑にもやもやしている時というのは、
テンションが高いときより低いときのほうが多いはずだ。

このように考えると、いろいろと合点が行くことも多い。
ストレス発散は、感情を消化しているわけではなくて、
別の感情を(能動的な行動により)多く積もらせて、
元々感じていた感情の累積値を越えるということかもしれない。

また人によって、溜まりやすい感情とそうでない感情が異なるはずだ。
Joyが溜まりやすい人、Wonderが溜まりやすい人
Sadが溜まりやすい人、Fearが溜まりやすい人
そもそも全体的に溜まりにくい人など…

図では簡単にしているが、
おそらく実際は、各感情の境界線は曖昧で、未分化の部分も多いはず。
実際のところ、感情というのは面倒な話だ。
いつか捨てられるようになるといいなぁ。

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