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失恋が実際に痛い理由

心の痛みと体の痛みは別モノか。

失恋して胸が痛いのと小指をぶつけて痛いのは違うでしょ、と思った人は読んでみて。


要は、「ストレス性心筋症」なのか「失恋症候群」なのか、ということなのだが。

神経画像の登場は、この検証を可能にさせた。

肉体的な痛みを感じると、前帯状皮質(ACC)と右腹部前頭前皮質(RVPFC)に、反応が見られる。ACCは苦痛に対する警報の機能。RVPFCは警報を制御する機能。

複数人のキャッチボールによる実験

排除(ボールがまわってこないなどの、仲間はずれ)を経験した人に、肉体的苦痛の際に見られるのとよく似た、活性化パターンが見られた。

重要なポイントとして

・排除が「偶然かなと思う時」や「仕方ないと思える時」には、ACCの反応もRVPFCの作用もありだった。警報と制御。
例:2回ボールをまわしてもらえない、ルールに則った理由でぬけることになった

・排除が「故意だと思う時」や「仕方ないと思えない時」は、ACCの作用のみだった。警報。
例:10回ボールをまわしてもらえない、ワケも分からずぬけてくれと言われる

鳴った警報を止める/鳴った警報を鳴らしたままにする。⇔気にしなくていい軽傷/一大事の重症。
このような、脳の反応の違いを見せたのだ。


もう一度たずねる。
心の痛みと体の痛みは別モノ?

愛する人を失うことはなぜ痛いのか。
もう少し掘り下げて見てみよう。

私たちは、食料の獲得・捕食者からの逃走・子孫の看護など、さまざまなことを、他者と協力して行ってきた生き物だ。養育者から離れることや、社会集団から孤立することは、生存に有害なのだ。

(排除などの)社会的苦痛を認識し、素早く対応し、修正できるよう、警告システムが働く。では、その警告をどうやって感知するのか。
そう、肉体的な痛みとして、感知するのだ。

※もとよりそれ以外にない。それ以外だとしたらなんだと言うのだ。第六感?霊感?ヒトが生き残れたメカニズム(能力)を何だと……。


私を好きになって!というのは、翻訳すると、私と共生して!に近いのである。

ミカタとしてどう魅力を感じたのかは、個人個人の話になるが。特に欲っした共生が得れそうになく、あなたの心は体は痛がっている。

だが失恋では死なない。これは大事な話なんだ。“本当は” あなたの生存は脅かされていない。

心の痛みは体の痛みよりも、「タチが悪い」かもしれない。

ほとんどの人間が、過去の体の痛みよりも、過去の心の痛みについて、より詳細に語れた。さらに、心の痛みを感じている時は、難しい単語の連想課題に、結果の著しい欠落が見られた。つまり、極端に語彙力(思考力)が低下したのだ。

キレた人が、論理性を捨てて、極端な中傷言葉に走るように見えるのは、調べがついていることなのだ。彼ら彼女らは、ある程度の「疎外感」を感じて、そうなった可能性が高い。ミカタを欲しがっている、傷ついているのだ。


明るい話もする。

また違う実験。
熱や電気的刺激などの痛みが、パートナーの存在で、はっきりと和ぐことが判明した。

肉体的な痛みと同時に
恋人の手・他人の手・物を触る
恋人の写真・他人の写真・物を見る

痛みが少なかった順(その他は大差なし)
恋人の手
恋人の写真/他人の手
他人の写真

愛は痛みをもたらし得るが、愛は痛みを取り除きもする。これらはどちらも事実なのだ。

死ななきゃいいわけではない。それでも。痛い、けど、大丈夫だ。


参考文献
https://www.psychologicalscience.org/observer/why-love-literally-hurts