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「ありのままの自分」「自分らしく生きてよい」を誤解する者は永遠に「うつ」

永遠に「うつ」シリーズ第2弾です。
競馬の予想屋のくせに、こういう記事の方がいいねを貰えるミスマッチ。
第1弾はコチラ↓

私の言う「うつ」の程度イメージは、重度でない鬱病または心の不調です。


「自分らしく生きる」ことは重要

心の不調を抱えた人に対して、
「自分らしく生きていいんだよ」
「人と比べなくていいんだよ」
という助言がよく聞かれます。これはまさに的を射た助言です。

心が不調の人は現状について悲観しがちです。
「皆は仕事をしている(学校に行っている)のに私はなんてダメなんだ」
「今の私は何もできない、未来に希望がない」
などと考え、自らより調子を悪くする負のスパイラルに嵌りがちです。

負のスパイラルに嵌るのを防ぐ方法として、パッと2つ思い浮かびます。
1つ目は、外部からの強い刺激で内省どころではない状態にすること。
2つ目は、「自分らしく生きてよい」と考え直すことです。
 

まず1つ目を説明します。

心が不調の人は、何もしない(できない)ことによって内省ばかりしてしまいます。ということは、それを防ぐには外部からの刺激を積極的に受ければよいのです。
私は自分を(後々得するように)いじめることを選びがちな性格なので、岩盤浴やサウナで耐久することや、故障しない程度に筋トレをしまくること、10kmくらい走ることなどを勧めます。
実行中は内省をする余裕などないですし、実行することに慣れて筋力がついたり健康的になったりよく眠れるようになったりすれば、自信がつき積極性も出てきます。

しかし、心が不調の人は大抵がアクティブじゃない状態なので、
「そんな元気はない」
などと却下されがちな方法です。
 

次に2つ目の説明です。

心が不調の人は自分の現状を悲観して調子をさらに悪くします。ならば、自分の現状を悲観しないようになればよいとも言えます。
「何もできない(と思い込んでいる)現状の自分でも価値がある」
と心から思えれば、元気も出てきそうですよね。

1つ目の方法は刺さる人が少ないので、皆2つ目の方法を推奨しがちです。
だから、冒頭のような助言が一般的なのだと思います。
「自分らしく生きてよい」
という言葉を心から受け入れられれば、他人との比較に苦しむことがなくなり元気が出てきます。

もっとも、「自分らしく生きる」ことを心から肯定するのがわりと激ムズなのですが、どうすれば心から受け入れられるかは今回の本題でないので、上手く言語化できそうだったらまたどこかの機会に記事にします。

 

「自分らしさ」は、居直ることではない

さて、今回の本題です。
「自分らしく生きる」
とは、どういう状態なのでしょうか?

答えは、前回の記事と同じですが、
「意識と無意識の乖離なく生きること」
です。どういう意味かわからない人は、ある程度元気な状態で加藤諦三の本を何か1冊買ったり図書館で借りたりして読みましょう。これも前回の記事と同じ結論です。

「自分らしく生きる」
に関して、とてもありがちな勘違いは
「自分勝手でよい」
と曲解することです。このような誤解をした「うつ」の人は、永遠に「うつ」を抱えて生きることになります。

例えば、「表出はしないけどすぐ不満になる人」がいたとします。その人が、不満を感じたら我慢せずにすぐ言うようにマインドを変えた場合、
「自分らしく生きるようになった」
と言えるのでしょうか?

答えは「No」に決まっています。積極的に人に迷惑をかける行為を
「自分らしく生きた結果だから仕方ない」
と正当化するのは唾棄すべき愚行です。しかし、この手の誤解をしている人は一定数いると思います。

「人に迷惑をかけてもいいんだよ」
というのは、他人に迷惑をかけることを異常に恐れる人に対しての助言としては正解ですけど、「あえて」迷惑をかける必要はありません。

では、「表出はしないけどすぐ不満になる人」が自分らしく生きたい場合、思うがままに生きるのがダメなら何を善しとしてよいのでしょうか?

その答えは「現状」だと私は考えます。
「すぐ不満になる自分」を善しとすることが、自分らしく生きるための第一歩です。善しとするとは「あなたのせいじゃないよ」という意味です。
現状を肯定した上で、すぐ不満になる自分を改善するのです。

「すぐ不満になる自分を改善するのは、『自分らしく生きる』ことと真逆なのでは?」
という印象を受けるかもしれませんが、そうではありません。

 

程度が甚だしい性格は「自分らしさ」を殺された結果

あまりに悲観的だったり、些細なことで激怒したりする人がいます。
皆それらを「その人の性格」だと表現してしまいますが、先天的なものでない限り、正確には「環境が作った性格」です。

すぐ機嫌を損ねる親を持てば、他人に対しても必要以上にビクビクしたり、あるいは自分も癇癪持ちになりがちです。このようにして身に付けた性格が「環境が作った性格」です。

「環境が作った性格」は、しばしば程度の甚だしさを伴うものなので、けっこうわかるものです。みなさんの周りにも、思い当たる人はいるんじゃないでしょうか。

そのような人は、本来の性格が「環境が作った性格」に殺されています。
だから、そのような人に
「激怒したかったらしてもいいんだよ」
「あまりに悲観的な貴方のままでいいんだよ」
と言うのは間違っているのです。自分らしくない性質で生きることを許容することになるのですから。

そうではなくて、
「すぐ激怒する貴方になったのは貴方のせいではない」
「あまりに悲観的な貴方になったのは貴方のせいではない」
というのが、自分らしく生きるために必要な捉え方です。

生きづらい性質を持ったのは本人のせいではないという安心のもとで、じゃあこの性質はどこから来たのかとか、どんな自分に変わりたいかとかを考えることが肝要です。
それにより、無意識の領域に押し込んでいた記憶や感情が意識化され、意識と無意識の乖離が減ることや、自分自身をより理解できるようになることにつながります。

自分らしさを出す前段階として、自覚している性格が本当に自分の性質によるものなのかや、自分に程度の甚だしいマイナス性質があるかどうかを考えてみるとよいでしょう。

自分の持つマイナスな性質について、その性質を持つ現状の自分は何も悪くはなく、大いに受け入れてよいものです。
ただ、マイナスな性質を放っておいてよいかは別問題です。それが不本意に身に付けたものなら、捨て去る努力をすべきです。それにより、
「自分らしく生きる」
ことができるようになります。

 

最後に、「ペットの話」「優しさ」

人によっては耳が痛い話をしているので、最後に私が好きな話をして終わりにしたいと思います。まずはペットの話です。

私は鳥を飼っています。みなさんは何か飼っていますか?

鳥の世話として、餌をあげ、掃除を定期的に行います。犬を飼っている人は散歩をするでしょうし、ハムスターを飼ってる人は鳥と同様に掃除をするでしょう。

ペットは極論を言えば「うんこ製造マシン」です。
我々はペットのために時間を使いますが、ペットは(とても悪く言うと)餌をうんこに変換する装置です。特に役にも立ちません。

では、役に立たないペットを飼う我々はアホなのでしょうか?違いますね。
ペットを飼う人は、役に立つことをペットに求めていません。存在しているだけで嬉しくなるから、役に立つ必要なんてないのです。

人間も同じです。何もできない(と思い込む)貴方でも別に気にしないという人は必ずいます。大抵は友達ですね。もし身近にいなくても、noteに思いを書けば「いいね」をくれる人の中に必ず優しい人はいます。
「存在自体に価値がある」なんて言われても、心が不調の人は否定したくなってしまうものですが、否定して何かよいことがあるわけでもないのなら、優しい人を信じた方がお得です。自分も優しくなれます。

 

「自分に厳しく、他人に優しく」
という言葉がありますが、自分に優しくできない人間が他人に優しくできるわけないというのが私の持論です。

心の不調時は、「優しい」と「甘い」を混同してもよいから自分が楽に過ごせるようなマインドにしていきましょう。

ただし、自分に「甘い」ままでは自分らしく生きられず、永遠に「うつ」です。少し元気になった時に、自分が望まず身に付けたマイナスの性質を捨てる努力ができる「優しい自分」になれるとよいですね!(^^)!


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