希死念慮と岩盤浴
今週末の競馬は、JRA70周年のイベントが色々あるので楽しみです。3日間開催で、私は月曜日に中山競馬場に行きます。
ということで、今日はいつものように穴守稲荷神社でお参りしてきました。アイキャッチ画像は8月に撮った御井戸です。
穴守稲荷神社には「必勝稲荷」「出世稲荷」など、それぞれの願い事に合ったお稲荷さんがいるのですが、今回は気合いを入れて全お稲荷さんにご挨拶をしました。
その後は岩盤浴に行きました。
岩盤浴バトル
岩盤浴は、サウナよりずっと楽な温度ですが、汗が異様に出てきます。私は暑さが苦手なので、岩盤浴は苦行寄りです。
私の行った岩盤浴は1時間です。
5分うつ伏せ→10分仰向け→5分休憩&水分補給
を1セットとして、3セットするといいよと書かれています。
岩盤浴の部屋には私以外に、純朴そうな若者(以下、福君)と、ダンディーなおじさん(以下、坂野)がいました。
そうなれば当然バトルです。3人の中で最も音を上げない男にならねばなりません。
福君はザコ
福君は、15分持たずに休憩室を行ったりきたりしていました。彼は楽勝です。
ただ、私も初めての岩盤浴ではあんな感じだったので、気持ちはよくわかります。
坂野は似非ストイック
一方の坂野はよく粘ります。膝を抱えたり脚を開いたりといったストレッチで自ら負荷を高めており、一見するとストイックな強敵です。
しかしサイレンスキャットは知っています。
岩盤浴は、膝を立てて接地面積を減らした方が楽なのです。つまり、坂野はいっぱいいっぱいなのです。
その想像通り、1回休憩室に行ったらその後は15分持つことはありませんでした。
結局、1回だけの休憩で乗り切った私が勝者になりました。自己評価が高まりました。笑
希死念慮は別に死にたくはない。では何だろうか?
話は突然変わりますが、先日YouTubeで、岡田斗司夫が山田玲司と希死念慮について話す回を見ました。
山田氏は希死念慮を持つ側に寄り添う発言をし、岡田氏は本質的な発言をするという、よい感じのバランスで興味深かったです。
意識と無意識の乖離
希死念慮や鬱症状を持つ人は、全員とは言いませんけど多数が「意識と無意識の乖離」を起こしていると私は認識しています。
意識していることと心の底の思いが違うことで、人間は不調に陥ります。
例えば、
①親切にしたいから親切にする人
②親切にす「べき」だから親切にする人
がいたら、当然②の人の方が消耗します。自分がしたくて親切にしているわけではないからです。
ただ、②の人は親切にする理由を理解している点がとても大きいので、どうにでもなります。「親切がしたいと思える自分になろう」と感じ方を改善する努力をしてもよいですし、あるいは「自分が納得できない時は絶対に親切にしないぞ」と決めてもよいです。
意識と無意識の乖離を起こすと、
③親切にすることに特段思うことはないにもかかわらず、なぜか消耗する人
になります。この状態では、「『親切』に関して、無意識でどう感じているか」を意識に乗せる努力が求められます。
あるいは、親切とは直接関係ない何かしらの抑圧による悪影響の可能性もあります。その場合でも、無意識の領域に抑圧している思いを意識に乗せなければなりません。
いずれにせよ、自らの心の奥底の思いを掘り起こして意識化しない限り、永遠に消耗する自分で生きることになってしまいます。
希死念慮を持つ人が「死にたい」と感じているのは間違いないでしょうが、もし希死念慮を持つ自分を変えたいのであれば、その「死にたい」の裏にどんな感情があるのかを丁寧に読み解くことが必要です。
病みを治すための「段階」
しかし、物事には段階があります。
無意識を意識に乗せる作業をするには、過去の嫌な感情や体験を思い出す覚悟が必要です。つまり、一定以上の元気がなければ無理です。
グラデーションを無視してあえて段階に分けて表現すると、
(1)ある程度元気になる ⇒ (2)意識と無意識の乖離に気づき、解消させる
という流れで病みは克服されます。
※(1)を達成しても(2)をやらない人がけっこうな割合で存在することが、病みをずっと身に着けたままの人が多数いる理由だと思うのですが、その話はまた別の機会に。
よって、1日何もせずに終わってしまうような状態の人は、それなりの活動ができる程度の元気を持つことから始めなければなりません。薬はそのためにありますし、「うつ病の人に『頑張れ』は禁句」という定説も(1)を達成できていない人向けのものです。
希死念慮がひどいなら、岩盤浴にでも行ってみれば?
希死念慮などで普段の活動をする元気も枯渇気味の人は、薬とは別の方法として岩盤浴に行ってみることを推奨します。それも、私のように「岩盤浴バトル」をするのがオススメです。
傷つく表現だったらすみませんと予め書いて勝手なことを述べますが、希死念慮を持つ人の多くは、何らかの心理的課題が「死にたい」という思いとなって顕在化しているだけで、別に本気で死にたいわけじゃありません。
岩盤浴、とりわけ岩盤浴バトルは苦行の部類です。
本当に死にたい人なら気絶するまでいられるはずですけど、希死念慮に苦しむ人の多くは気絶する前に部屋を出られます。
(一部、自分の限界を全然理解していない人や、「病んでいる自分」の証拠として「気絶するまで岩盤浴をした」という実績が欲しい人は、気絶するまでいるかもしれませんが)
本当にギリギリまで粘るか、早々に諦めるかはどちらでもよいんですけど、
「もう限界!」
と思った時に部屋を出てみてください。
「助かったー」
という感情が味わえます。それが生きているということです。
岩盤浴でも、ロングスローディスタンスで5kmや10kmを走るでもよいので、マイナス(害)にならない方法を用いて
「もうこれ以上は無理」
と思う程度に自分をいじめてあげることで、「生」を実感できます。
しょっちゅう死にたいと思うくせに「生」の実感に安堵する。そんな自分を知れば、自分の内なる声に耳を傾けるきっかけにもなるかもしれません。
あとは、乗馬ももちろんオススメ!(^^)!