慈悲の瞑想
以前にそんしの気づきの瞑想入門③で紹介した慈悲の瞑想の簡略バージョンについて少し補足解説をしたいと思います。
慈悲の瞑想についてのおさらい
慈悲の瞑想には様々なバリエーションがあるのですが、初心者の方は文言を憶えるのが大変だと思いますので簡単に憶えられて取り組みやすい簡略バージョンを一つ紹介しておきます。
基本的には、慈悲の瞑想は慈悲を向ける対象を「自分」「自分の親しい・関係のある生命」「全ての生命・生きとし生けるもの」という順番で拡大していきます。
以下は、簡略バージョンの一例です。
「私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いことが叶えられますように
私に智慧の光が現れますように
私は幸せでありますように×三回(時間があるなら繰り返し念じてみてください)」
「私」のパートが終わったら、次は「私の親しい生命」に代えて行い、最後に「生きとし生けるもの」に代えて念じてください。
声は出しても出さなくてもいいですが、声に出さないでフレーズを念じる方法は周囲の状況に配慮する必要がないし長時間行っても疲れないのでそちらを推奨します。
四種類のフレーズと慈悲喜捨
ここで紹介している簡略バージョンの四種類のフレーズは、それぞれ慈悲喜捨の四無量心に対応したものとなっています。
四無量心とは、全ての生命を対象にして無制限に育てることを仏陀が推奨している清らかな四種類の善い心のことです。
・「幸せでありますように」というフレーズは、慈(メッター)という慈しみを表現したものです。
・「悩み苦しみがなくなりますように」というフレーズは、悲(カルナー)という思いやりを表現したものです。
・「願いごとが叶えられますように」というフレーズは、喜(ムディター)という他の生命の成功や善い行いに対する共感的な喜びを表現したものです。
・「智慧の光が現れますように」というフレーズは、捨(ウペッカー)という智慧を生じさせる土台になる平静さや落ち着きを表現したものです。
このように四種類のフレーズは、それぞれ慈悲喜捨という仏陀が全ての生命に対して無量に育てることを推薦している四種類の清らかな善い心に対応しているのです。
気をつけるポイント
慈悲の瞑想を行う際に、初心者が気をつけた方がいいことや誤解しやすいポイントなどについて少し説明しておきたいと思います。
「幸せでありますように」と慈(メッター)の実践をする場合に気をつけた方がいいポイントは、特定の相手に対象を限定することで愛着が強化されてしまうことがあることと、異性などを対象に念じると慈しみではなく愛情などの感情が混じってしまう危険があることです。
また、幸せの内容を「金がいっぱい儲かること」などと俗っぽく妄想してしまうと生命全般に関わる普遍的なものではなくなってしまいますし、慈しみではなく欲望の妄想になってしまう可能性もあります。
悲(カルナー)の場合も、特定の相手に過度に同情することで悲しみに飲まれてしまう可能性があります。
悲しみは、好ましくない状況を拒絶したいという怒りの感情の一種なので悲(カルナー)ではなく煩悩なのです。
喜(ムディター)の場合も、例えば悪い行いをして不正に利益を得ている人や悪人の悪行為の計画までも無批判的に賛同して喜んだり応援することではありません。
他の生命の悪行為に賛同して応援したり共に喜ぶことは、直接悪行為に参加しなくても他人の悪行為に共感して応援することは言葉や意思を用いて悪行為に随喜して加担したことになります。
捨(ウペッカー)の場合は、智慧に関係するものなのでかなり実践をして能力を育てないと理解するのは非常に難しいと思います。
無理をして捨の実践をしようとすると、他者に配慮をしない無礼で冷酷な振る舞いをしたり、無関心な態度になったりする恐れがあります。
無知な人が悟り清ました顔で他者に配慮せずに非常識な振る舞いをしたり、無関心な態度で無知の静けさに酔っていることは捨(ウペッカー)ではなくただの無知捨という無知の煩悩に飲まれた状態です。
慈悲の実践をする場合は、このようなポイントに気をつけて行うことが重要です。
慈悲の瞑想でサマーディを作る方法
サマーディという集中状態を作るには、最初は一時間~二時間程度は続けて瞑想する必要があると思います。
サマーディ状態を安全に体験するシンプルな方法は、横になった姿勢でリラックスして慈悲の瞑想をひたすら行い続けることです。
個人差がありますが、ひたすら続けていればいずれ欲や怒りや雑念などは沈静化していき精神が統一してサマーディに達します。
途中で妙な光が見えたり、喜悦感や多幸感が生じたりする場合がありますが気にしないで続けてください。
フレーズを念じることが徐々に難しくなってきたら無理に念じることを辞めて、その状態で生じている感覚にただ意識を集中して観察してください。
一度サマーディ状態を経験してしまえば、繰り返して訓練してコツを掴むことで短い時間で様々な姿勢でもそれを再現することが出来るようになっていきます。
慈悲喜捨の実践の効果
適切に実践を続けていくと、慈悲喜捨の四種類の清らかな善い心が相互作用しながら均等に育っていきます。
慈悲喜捨の四種類の清らかな善い心を育てていくと、欲や怒りや無知の感情である煩悩は徐々に弱まっていき心は落ち着いてサマーディ状態が生じて平静に諸々の現象を観察することができるようになってきます。
それによって智慧も育ってきますので、場面に応じて四種類のどの心でどのように対応すればいいのかという判断も出来るようになってきます。
慈悲の利益の経で説かれていたような11種類の効果は、実践を続けることで徐々に現れていきますが、このように段階に達して条件が揃った時により強く現れるようになると思います。
このように実践すれば、慈経で説かれていたように慈悲の実践で智慧を育てていき最終的には悟りに達することも可能なのです。
慈悲の瞑想と気づきの瞑想の組合せ
ある程度時間をとって坐って気づきの瞑想をする場合は、慈悲の瞑想の簡略バージョンを行ってから呼吸の観察に移行した方が心が落ち着いて集中力が増すのでオススメです。
坐る瞑想を継続していき長時間坐る姿勢で瞑想出来るようになると、心に余裕が生じて退屈したりマンネリ化してきて一つの対象に気づきを向け続けることが困難になる場合があります。
そのような場合は、途中で瞑想を中断するよりは呼吸瞑想から慈悲の瞑想に切り替えるなどの柔軟な対応をすることも瞑想実践を続ける上では欠かせないテクニックです。
観察能力が向上した場合、慈悲の瞑想をしながら呼吸や身体の感覚の変化などにも気づきの対象を広げることが可能になることもあります。
その場合は、対象を一つに限定する必要はありませんので臨機応変に柔軟に対応することで洞察や智慧が生じたり深まる場合もあるでしょう。
終わり
以上で慈悲の瞑想の補足解説は終了します。
苦しんで悩む生命が苦しまず、恐れて悩む生命が恐れず、悲しんで悩む生命が悲しまず、一切の生命が安穏でありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。