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フランスラベンダー栽培史年表。


フランスラベンダー産業にまつわる各地とコモン・ラバンジンの栽培範囲を示した地図。
畑にてその系統種の栽培が確認される範囲であり、自生範囲ではない。
Data source:1985?

1600頃 - この頃コモンラベンダー(L. angustifolia)の白花品種が確認される。
書籍での"白花種ラベンダー"の登場は『ヒスト』1826年になる。

1714 - グラースにて「手袋・香水製造職人組合」が誕生。
前身団体は1614年誕生の「手袋製造職人組合」。
これを機にオート・プロヴァンスからはやや離れた(130kmほど)地中海沿岸の都市グラースにて革製品の香り付けのために香水産業が発展する。
この時点ではまだラベンダー精油の利用は盛んではなかった。1710年以前はバラ、ジャスミン、スミレ、ミモザが香料の主体であったが、革手袋に用いる香料の需要増に応えるためグラース郊外の高標高地に生育するラベンダーに目がつけられた。

1753年 - 植物学者カール・フォン・リンネにより『Species Plantarum./植物の種』にて学名が設けられる。

はじめ、コモンラベンダーとヒロハラベンダーは同じ植物種Lavandula spica.Lとして記録された。
ただしヒロハラベンダーは"葉の広い変種" Lavandula spica var. latifolia .Lとして書き分けられた。(1753年/命名者カール・フォン・リンネ)
1764年、Lavandula minor Garsault(コモン)とLavandula major Garsault(ヒロハ)として学名分離。(命名者ガーソー/医学博士)
ヒロハラベンダーの方が都市文明圏に豊富に存在していたことを示す学名に。
1768年、リンネに批判的であったフィリップ・ミラーがLavandula angustifoliaを『園芸事典』にて提唱。(L. angustifoliaは英国内のみ?)
1779年、学名がLavandula vulgaris Lam.となる。
(命名者ジャン=バティスト・ラマルク)
1785年、学名がLavandula officinalis Chaixとなる。
(命名者ドミニク・シェ)
1826年、学名がLavandula vera var. angustifolia Ging.(コモン)とLavandula vera var. alba Ging.(白花種)として書き分けられる。
(命名者フレデリック・シャルル・ジャン・ジンジャン・ド・ラ・サラズ)
1972年、学名がLavandula angustifolia subsp. angustifolia Mill.(コモン)とLavandula angustifolia subsp. pyrenaica DC.(ピレナイカ/南方亜種)として書き分けられる。
(命名者フィリップ・ミュラーおよびオーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール
〜現在、Lavandula angustifolia (subsp. sngustifolia) Mill.が主流となっている。

分類名遍歴 source Kew Botanica.

1850年以降 - Lavandula angustifoliaの主な原生地であったオートプロヴァンス地方の小規模村に簡易蒸留器が設置されはじめ、野生ラベンダーの刈り集めがはじまる。設置者はグラースの数々の香料会社。

1880頃 - この頃ラバンジン(L. x intermedia)の白花品種が南フランスにて確認される。

1890頃 - この頃から組織集団的なラベンダーの刈り集めと蒸留が盛んになる。

1910 - フランス人化学者ルネ・モーリス・ガットフォセ(リヨン)は実験中に熱傷を負い、付近にあったコモンラベンダー精油を患部に塗布したところ高い治癒効果を発揮したことを発見。(アロマテラピーという学説の発表は1928年になる)

1912 - コモンラベンダー(Lavandula angustifolia)の採油栽培が始まる。

1920頃 - この頃不稔性であるラバンジン(L. x intermedia)が挿し穂方式で南フランスからヨーロッパ各国へ向けて移動開始。
オランダにて’Dutch’’Early Dutch’などの品種が見出される。

1926 - L.angustifolia sauvage(野生ラベンダー)においての最適な収穫期を発見するための研究。- FONDARD(1926)

1927 - 初めて人工ラバンジン品種の作出成功。(シリス社の試みによる)
L.latifoliaの花にL.angustifoliaの花粉を授粉させてラバンジンの種子を得た。
ならびに、天然環境下ではL.latifoliaとL.angustifoliaそれぞれの開花時期前後があるので、L.angustifoliaがラバンジンの種子を持つことは非常に稀とされた。

1930 - 蒸留中香りが変化していくことから精油には複数の芳香成分が含まれていることを報告。- CHIRIS(1930)

1931 - 化学者ルネ・モーリス・ガットフォセ氏はコモンラベンダー精油の高い創傷治癒効果を基にした学説を解説した書籍を出版。
1929〜1931年にかけて薬剤師セベリンゲ氏もこの研究に参画。

1937 - この年に小規模な高原栽培家の翌年播種用貯蔵種子(品種ではない)が5kgほど集められ、日本の曽田香料へ送られる。

1953 - マノスク在住の作家ジャン・ジオノが短編「木を植えた男」を執筆。
本書冒頭の文中に世界観を示すLavender sauvage/野生のラヴェンダー。

1955 - L. x intermedia/ラバンジンに関する切り込んだ生態学的調査?

1955 - L.angustifolia品種の比較実験において、ラベンダー精油における"Chemotype"の存在を発見。- Rovesti(1955)

当初コモンラベンダーの栽培品種は①Maillette ②Matheronne ③Fragrans
特に②マテロンヌはアルコールに溶けにくい精油を作るため早々に栽培が潰えた。

1956 - ラバンジン(L. x intermedia)と養蜂に関する何らかの実験。

1959 - 精油の屈折率の観測と蒸留時間によって任意の成分割合の精油を製造できることを報告。- BARBIER(1959)

香水製造においてこのレポートは、ラベンダー精油の品質が他の香水材料との混和・調合しやすさに大いに関与することを発見した。
すなわち、香水用精油を得る場合は蒸留時間がより短い方が扱いやすい精油となる。(品種にもよるが)

蒸留時間を短くすることのメリット
1.une couleur plus claire~より無色透明な精油
2.un indice de réfraction moins fort~低い屈折率
3.un parfum amélioré~香りの改善
4.une densité plus basse~軽やかな精油・香り
5.un pouvoir rotatoire moins grand~蒸留時間とコストの削減
6.- et, selon les cas, modifie dans un sens ou un autre les richesses en esters eten alcools~エステル/酢酸比を品種由来ではなく人力でコントロールできる

1972 - 流行しはじめたラベンダー枯病に強いラバンジン・グロッソ(L. x intermedia ‘Grosso’)が次なる栽培種として扱われ始める。
‘Grosso’自体はかなり前より発見されてはいた。

1990 - ラバンジン栽培において、グラインドグリーン収穫法(vert broyé)が開発される。
しかし乾燥行程を経ないグラインドグリーン法で得られる精油の香りがあまりに不評であった。

2014 - ファイトプラズマによる枯れ病が南フランスにて猛威をふるい、フランスのラベンダーオイル市場の製品9割が一時ブルガリア産オイルに置き換わる。

2015 - ラバンジン栽培において、レスピール収穫法(l’Espieur)が開発される。
トラクターに付帯するレスピール機を用いるのだが、専用機で花穂と茎とを切り分け、茎は畑に、花穂は積載という選別を行う。
前代のグリーン法で不評だった青臭さの低減に。

2018 - フランスの無形文化遺産のリストに「ラベンダー栽培の慣習」が加えられる。

●引用文献


若い人がどんどん減る地元【三笠市】もついに人口7000人台目前。 朝カフェやイベントスペースを兼ねたラベンダー園で今いる住民を楽しませ、雇用も生み出したい。そして「住みよい」を発信し移住者を増やして賑やかさを。そんな支援を募っています。 畑の取得、オイル蒸留器などに充てます。