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多極化の進行やアメリカとロシアの和解は、あくまで表層的な現象にすぎない。本質的には、近代世界を席巻してきた西洋と、その根幹を支えた啓蒙思想の時代が終焉を迎えつつあるという事実こそが、真の問題である。

多極化の進行やアメリカとロシアの和解は、あくまで表層的な現象にすぎない。本質的には、近代世界を席巻してきた西洋と、その根幹を支えた啓蒙思想の時代が終焉を迎えつつあるという事実こそが、真の問題である。

そもそも啓蒙思想とは、人間の理性を絶対視し、普遍的な価値や客観的な知識を追求する流れとして17〜18世紀に西欧で勃興した。科学技術や市民社会の発展とともに、「理性によって世界は改善される」という信念が広まったのである。西欧諸国はこの理念を背景に、世界各地で文化や政治・経済の中心を担ってきた。しかし、二度の世界大戦や冷戦構造を経て、21世紀に至るまでにその理念がもたらした問題――グローバリズムによる格差や文化的均質化、さらには人間存在そのものの機械化・管理化――が、世界の至るところで露わになってきた。

多極化の時代に入ったという言説は、米露や中露、あるいはインドや新興国の台頭といった地政学的再編に焦点を当てる。しかし、真に重要なのは、この再編が「西欧中心の価値観や理性主義」が人類の標準ではなくなったことを示唆している点にある。たとえアメリカとロシアが歩み寄ったとしても、それは一時的な国益の合意にすぎず、「理性による進歩」という幻想で世界を一括支配できる時代がすでに崩壊していることを覆い隠すものとはならない。

ポスト啓蒙とも呼べる状況では、各地域や文化圏がそれぞれ固有の価値観や歴史的コンテクストを拠り所にし始める。多極化は単に覇権国家が複数現れるというだけでなく、人々の思考や倫理の基準が多様化し、絶対的な共通原理を見出すことが困難になるプロセスでもある。そこでは「自由や人権」という西洋近代の旗印も、自明の普遍原理としては通用しなくなっていくのだ。

つまり、今われわれが目撃しているのは、啓蒙思想を根底で支えてきた理性主義と普遍主義の崩壊過程である。表面的に見ると、米露の和解や新たなブロックの形成などが目立つが、その舞台裏では西洋近代の根幹にあった価値観や思考様式が、無言のうちに溶解している。この変化は軍事同盟の再編や貿易協定の見直しだけでは説明できない、より深い文明史的な転換点を意味しているのである。

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