Σ 詩ぐ魔 特別号
ハント
壹岐悠太郎
豹々。
と、隠くしておく布の盛りあがりに
舌先をかすめて
気づけばなにもかも
石膏でかためられたように
はぎとる。
頭球
のうえを通るもの。
弓師にも口笛、が
きこえるここで
さりげなく流がす目のうしろ
交叉する(豹々。)
しらけきったボートで
くぼんだ庇さしの傍にとまる
あきれて
それから絵づくりの子として
塗かさねした日。
とどこおりなくくる犬が光まといの
ぶきようなsketch、
左右にひとしく振られる
水溶性の羊歯、
が
はじめて目があったときのようななつかしさで
微笑をうかべるような
かれもいまそうだった、
古紙をたばねただけの簡素な日記帳
翅折りのちょうちょ。
しずかに並らべられる魚料理
偽装される食卓のうしろをまた、(豹々。)
音するようになる。指先の
鍵盤になる。骨格の大きさが
ふくらみ、
予兆をにらみつける
水面。のそばで水あびする
泥をまといながら踊どっている子どもたちらららら
しかくくなっていく奥のほう
さけんでない、地図のすれたところで
ひっぱりはじめる
大脳アレハンドロ
医ヰ嶋蠱毒
押収された阿片ですら余りに眩い朝
隔離室にて驟雨を浴び
拘束衣から天井の四隅へ
腸を引き延ばす一人の患者が
流暢に饗膳のレシピを奉唱している
黒く塗られた爪で挽肉を捏ねなさい
引剝した骨で分娩台を修飾し
蟲は少女に身を窶しなさい
延びる護謨管はどぎつい緑色だ
酸が零れぬよう孔を傾けておくとよい
飢餓の齎す数々の恐怖から
卵殻は忽ち逃避を図る
微塵切りにされた玉葱と大脳の近似が
温い喚水であるならば
イクトゥスは鋸刺鮭めいた歯牙を生やすのか
猿が虚像を憶えるように
鏡面の放散する第五元素を
胃袋に蓄え反芻してみよ
耐え兼ねて嘔吐した粘膜の底で
アレハンドロの仰ぐ曇天はどぎつい緑色だ
露西亜語を話す獣を從え食卓に着く不死の医師達
レシピは軈て彼らの手により翻案され
太母が先触れを寄越す迄
ただ胞衣を懐古する為だけに
一塊の重金属と化してしまうことだろう
オディロン・ルドンと水木しげる(資料を調べる詩)
小笠原鳥類
私は水木しげるについての知識が、きわめて少ない。ここから書くことも、知っている人は知っていることなのだろう。私は知らなかったから、発見してビックリ、だった。
朝日新聞社の本――雑誌のようでもある――2冊、「週刊 朝日百科 世界の美術」の『モローとルドン』(1978)と、「アサヒグラフ別冊 美術特集 西洋編」の『ルドン』(1989)。両方に、水木しげる「ルドンと私」という題名の文章があるのだが、出版社(新聞社)と題名は同じでも、なかみは違う。ビックリ。
1978年の「ルドンと私」は、「われわれが山のなかに行くと,よく何かいるような気がすることがある。」これは私の思い出である――山のような場所だったのだが、小さい池があって、看板が立てられていて、そこに「チョウザメ」と書いてあった。
水木さんの話。「小学校6年生くらいのころだったが,大阪の古本屋から『西洋版画集』という本を父が買ってきてくれたことがあった。そのなかにデューラーなどと一緒に,ルドンの,気球のように空に向かって昇る眼玉の版画があった。」そして、めだまが父親になっている。
「あのルドンの黒の石版画の世界,あれは,われわれが子供のとき感じた夜の世界だと思う」(石の板が、壁のようなものだ)、「こんなやつが,闇〔ルビ やみ〕のなかでうごめいていたのか,」(イソギンチャク?)、「ふと庭を見ると,日の光の関係で,今までの庭とは別物に見えたりすることがよくあった」(にわとり……)、「ルドンは,よく丸い魂のようなものを描くが,この種のものは,人のいない深山などでぼんやりしているとよく,浮遊している感じのするものだ。」ふくろうのような、きのこ、きのこのような、ふくろう。(私は、妖怪を見ることはできないけれども、動物を見ることができる。詩の霊感がなくても、生きものがいる。生きものを調べる)
1989年の「ルドンと私」では、「学校の図書館で『世界美術全集』をみた。その中に、目の玉があくまでも空に昇る絵をみた。〝ルドン〟と書いてあった。」学校なので、正確な科学の本だけが図書館にある。魚。それから『西洋版画集』という本を「開いてみると、背中に顔のついた不気味な蜘蛛〔ルビ くも〕の絵があった。みると〝ルドン〟と書いてあった。なるほど、夜みる蜘蛛はこんな形だ、」ヒトデだ(ウニである)
「無限に空に昇る眼球なるエッチングは、鬼太郎の親父の目玉を発想するのに役立った。」お役に立つことができて、よかったです、うれしいです(私が言っているのではない)。「いろいろな暗い版画があるが、たいていどこかに〝丸〟がある。」ガマグチヨタカのようなものです「ルドンの黒は黒であっても黒にみえない。ムラサキにみえたり、セピアにみえたりする。」イカの墨に見えたりする。イカの墨なのだろう
生成譚
帛門臣昂
宇宙の中央から垂れてくる綱に
狂喜する女官の、例えば蛍
人糞と恥垢の川が止まらない
と、形容するのは容易いけれど
連呼する恒星の管
乱打する地球の腰
見えないか、その紫陽花が!
うねり、翳り、水面、藻、喪、桃流れ
少年の萎えた四肢だけが橋を渡ってゆく、遅れて
親王の摺足、その足裏の太陽がヴィーナスの眼球と間違えられるたび竹叢から竹が脱走する、失踪する、疾走する!
この世の一切をふりきって
仰げば
銀河の上水道はそのまま下水道であった
海へと産み落とされる樋洗童
家を持たないその瞳が最初に見たのは海か空か、判らない、くらくらして、水母は老いることを知らない、要らない、蛇口から排水口までの全運動はきっと宇宙の余興で、桶をひっくり返しても、修正不可能な歯列の歪曲と接触点、口のなかを真っ赤にして泣いて、いて
もう
骨盤を押し拡げた瞬間に
鯉になれたら良かったのに……
声になれたら良かったのに?
ほら、蛍
炎えあがる神馬像の周りで踊る女は鬼女である
と、夢で耳打ちしてくれた翁
と、工事中の交差点で再会する
と、蛍になれなかった人々が行き交い
と、屠、途、戸、戸口を
兜の緒で鎖せ、
挿せ、
刺せ、
環、多、私、
私が
天体の詔勅を書き写しているうちに
河口には
涎を垂らす弥勒菩薩が到着していた
F_n=1/√5 {((1+√5)/2)^n-((1-√5)/2)^n }(0≤n≤24)
小山 尚
n=0.透水性の低い地面に介入するドブネズミが発
生させる応力で、塔は傾斜した(鐘の音……)
n=1.ボラの若魚と合同である紫色の合成染料に袖
口を浸し吸収する養分、指開くあかね色の野
n=2.畳まれた公的文書を抛ち→投げ打ち、喇叭→
ラッパを頬張り、甃→石畳にて、果つ→終わる
n=3.毒性のあるウサギを約四時間放置し、清くな
いパソコンに預け、電源を落とし増殖させる
n=4.さくさくさくと禁煙パイポをベランダで喫
む少女二人の睦み合う姿をうるはしみせよ
n=5.楓やブナでない、太くて持ちにくい太鼓のバ
チに慄き気管支状に逃走するキツネの群れ
n=6.ここで、虚空を攪乱したがる、強さと優しさ
を兼ね備えた行政書士を呼んでもいいですか
n=7.いつも快活な結晶粒が微細化した際は、防虫
効果のためシネラリアと共に激安ワインを!
n=8.⁅全体……⁆⁅肥大化しつつ……⁆⁅生きて腸内
を……⁆⁅辷る……⁆⁅多糖類……!⁆[S県産]
n=9.$${\vec{f}=m\frac{dv}{dt}\vec{t}+m\frac{v^2}{r}\vec{n}}$$故リボ払いは非等速
$${\scriptsize({\vec{t}}:単位接線ベクトル,{\vec{n}}:単位主法線ベクトル)}$$
n=10.汎用性の高いサツキマスに塩を塗し、ユウ
ゼンギクを呼び、農家に民泊を運営させたい
n=11.櫂にオウムガイを据え、これを鞴と見做す
ことで漏斗から感光材料を排出させること!
n=12.青色の山のほとりで等間隔に大根を埋める
姿を収めた自主映画フィルム枕かずけばこそ
n=13.ステンレスワイヤと優劣つけ難い硬直をみ
せる菖蒲で天の闇を神経締めすることにした
n=14.漠然とした海や河川にばら撒いたエンレイ
ソウ、シアン化カリウムの沈黙げに過ぎ易し
n=15.未だ民間療法として耀うハゲタカの肝に狂
れ大量の生餌に肖る唖蝉が幾匹⦅峡は慟哭⦆
n=16.直交座標系におけるアリの三次の正方行列
は社会的に群発する応力の解析に応用される
n=17.唇が$${F=G\frac{Mm}{r^2}\scriptsize(G:万有引力定数)}$$
により剥離するし軽い嚏もとんでくるだろう
n=18.他者の甲状腺を、的確かつまんべんなく間
引きながら、公共施設のアブラナを触診した
n=19.ミケルマス・デイジーを塑性変形させる
と、ベタベタした機関車は、鼓膜を穿つか?
n=20.斃れたサクラソウを重箱に敷き詰めれば、
早熟と悲哀との間隙に黴の雨が降る(夏だ)
n=21.一定の反発/反落によって、テクニカルに
引き伸ばされる恋猫の相関係数は1に近しい
n=22.十日で五割増す黒ワインをすいすい泳ぐ養
殖鯉の群れ、咽び泣く姿は曼珠沙華であろう
n=23.キンポウゲの花蕊にカブトムシを搭載する
ことでこれを毒矢としたい(咢咢咢咢咢咢)
n=24.完全変態の様子を、陶然とハニカム構造内
に組み込み、これを火屋の集積回路としたい
飽和
髙雄宥人
チョコレートを持って保健所に行こう
暴力装置とよばれても
かわせみみたいなダンスも得意だもの
延伸された生命線を見せられて
ただの裂傷だ、と思う
涼しい色をして人に吹かれていく
どうしてこうも平らなんだ
窓のない婦人科はないよ、イコンが
塞いでいるだけ
義父の言い訳はいつも寒々しい青さで
とろみのついたあたしの夢をうち捨てる
口をつく現実的な意味の何パーセントが
土くれよりも軽んじられたあたしたちの
開口部になり得るのだろう
どうせ使わないクレヨンは
永久に折れたままでいい
(ほんとうに?)
ハワイ、まどろみのなかで山羊になる
一旦ふやけた日々に栞をはさんで
またまどろみにいく
偽物の翅がもろさを克服する曜日が
八つ目に来るのも近い
八月 寝ずの番
領土を引き渡せ、と点滅するアラートは
いまが二千何年だろうとすり抜けてくる
これは最低なことに音楽と近似値だった
グレートウォールの端と
あたしの町もまた
涙目の近似値だった
スポンジのいたずらに付き合うのにも飽きて
レースの下着に隠れた水晶のために
あたしは三百六十文字のLINEを送る
うぶすなとヴァギナ・デンタータの関連から
目を逸らして
肌を感じていよう
ヨットの上でだけは
合わせ鏡のままであり続けたかった
毛布 アイソトープ もういらない
悪いお菓子を食べながら
細部を撃て
びっくりした
林 ケンジ
「もう完全なパプリカなんです。」すっかり植えられている、音楽が、透き通る煮ます。カブがビル。コロッケかもしれない、ミニマル(フルート!)がスタイル。「*わたしゃ木から摘まれて箱に放り込まれるねぇ」と言った、変化している、「フワーッとなる。」キャベツ、千切りになったことがある、と、こっそりとみている馬、まだ、カブがビル
そんな世界線が、「おひたしにすればいいんですよね。」まずはパフォーマンス・アートの旗手(どこか朝食に似ている)、エンダイブだよ「チコリ。」小さじ1/2の。カリフラワーを、カリリフフララワワーと。ふやかして、あっという間の、「ネット社会(写真の写真)。」輪切りにするんだって、「あの。」、しめじ、「この、なめこ(ラメならば)。」に、つきあたるまで、マッシュルーム(クリスタル製)だらけ。ー右から左にイモムシがー(動画)とー左から右にイモムシがー(ステッカー)そんなバランスで、「ミックスベジタブルじゃぁないほうのやつ。」している、目的地。上から見たら、里芋(ピンバッジ)
響きだけがエシャロット
「*そいつぁ驚いた。わたしゃ刈り込まれるねぇ」
きっとミトンなんだろう
(クマのぬいぐるみがあったりなかったり)
ずんどこリズムに、もこもこベース(#冷製)
「ありがとう?」、明るい未来が輝くだろう
(こんにちは、わたしたちは、)
玉ねぎ。ダンスなのか
来客多数で大盛況
クラブでヴァイナルを、カラッと揚げる。それはそれは、オリーブオイルが大事(もう一回いいます。やっぱりやめます。)チラッと、スプラウトに、向こう岸まで、弱火に、もしくは、水気を切ります(海月。ドレッシングとして)。「炒める、可能性しかない。」の内側に(エレクトリックに)、塗りたくる。だいこんが、桜えびに。きっと、いい煮物(JPG)にもなれる。味を調えたい、とりあえず大豆もやし、西から東まで、キッチンカーだらけの、フェスティバルが、カーニバル(#プラ模型)。開催されているのだろう、混ぜられている、北で。立派だ。そして、大事かも(ブイヨン推奨)「そんなイヌがいたかも。」冷めないうちに、立派
「A(アーティーチョーク:仮名)B(バジル:偽名)」(エントロピー)
A
「クローン?」、明るい未来が、料理集なのだろう
固形としてだが
B
ヒトかもしれない、エンダイブ(再掲)カモ
A
イディオムがシステマティックはヴァイタルな、それ。
そう、アーモンドだって煮ることができる
B
にんじんは皮をむいて鍋に入れ「(C?)トマトを?」
途中で話しかけるのはやめて
A・B
とってもきれい!
カリフラワー大好きだろう、ふりむけばプチトマト。「やめてください。」✕3が、(クレッシェンド)で、急にアンドロイドになりました、が、(皮むき器がたくさんあります)セロリーにも似ている「なんの音でしょうか。低音がブーンと響いて寝られません。これ以上つづくようでしたら、管理会社に連絡します。よろしくお願いいたします。」に、固形スープのもと(生き物・ヒト以外)を、混乱がコンランになってしまう。椅子に似ている、「スプラウト!」は「ごぼう?」炒めだって、「待って下さい。」を、誰が、ドレッシングするのだろう。「そんなこと言われてもこまります。」は、ただの広告だろう(やっぱり草に交換します)、そんな、そんなが、どこまでもが、どこまでもに、アスパラガスの後(ウシロ)、混ぜてから取り出します。イキイキしています。やがてが、笑うの。かも
「*は僕の名はアラム ウィリアム・サローヤン 柴田元幸訳 新潮文庫 2016 P174,175」(サニーサイドアップ)
ベターホームの本が、ワクワクしている(どっちが?)
馬!
狩人
暇野鈴
軋む列車の大事にそなえて収縮する
身体のわたしを後追うように 車窓に吹き荒ぶ
風雨は(垂直に肉欲する幾多の)
可能性の一つであるかもしれなかった
揺れる体毛が広告を脱毛していくと同時に
全自動のTVが文明人の関心をさらい
わたしもそのなかの一人として、首から斜め上方向へ
劇的な角度で喉仏を差し出している。
鹿、鹿、鹿。
/当座の娯楽・発狂は
/鹿を・に
/殺す・される
紛れもなく狩人〈かりゅうど〉を写す一部始終の中継/
無音の放送だ
山あいからの電源にぶつかり合う肉と肉に
文明人の野生がぶん回す吊り皮に
しばらくの雰囲気を与えた風雨が
無言の喝采と落胆とが揺れる電車に
白く刈られた鹿の それでいて何色にも幻重する角が
老齢の狩人〈かりゅうど〉を
(逃れるための一擲は大きく逸れ、
田園を裂きながら伝えられる公営放送は
かれの不服をよろこばしくつた
●[広告を再生▷]—————————————————————————
、いつからか革靴は履かなくなつた/何を留め置くにも画鋲はありあまる/写真を撮られるたびに魂が抜け/正にそのやうな顔がわたしの身分を証明してゐた/遊具の回転に合わせて歩調を抑えるとき/わたしは街の一帯であることを望んでいるのだらうか/気狂ひの金魚は水槽に頭をぶつけて死んで仕舞つたが/わたしは冬なので花を買つたり枯らしたりしてゐる/(何処かの国のサッカースーパープレイ集は切り替わり/今や万引きGメンが雄弁な語りを披露してゐる)/決まりに殉じた者たちの顔はいつ見ても面白い/窓の外に降るものこそ変わらないが/蛇口へ手を伸ばすわたしの喉は乾いてゐる
—————————————————————————[広告を削除×]●
(報酬を獲得…5秒前)
…………4
………3
……2
…10園を裂き、7がら、伝えられる、公8放送は
かれ9、不服を、よろ5ばしく、3た、3た、3た———
———3た。3た。ゴジョウシャ、アリガトウゴザイマス。オワスレモノ……
ただし《実際のところ、連鎖は鎖//////でなく(*エクリチュー\動作に使役された老齢の狩人〈わたしたち〉は/いとも容易く:モーションキャプチャされ/ル*)血。》血、鹿、□、鹿、皿、□、鹿、〼の時とする(25点)
青丹
横井来季
【青丹よし】
ジャンボタニシのなかのわたしが射精する
桃色グミが産まれてきて
詩の心臓を外してみれば
未生の空が摩擦して
Instagramに溶け出して
いる
【させて、消え、】
乳色の花粉が
粗い鏡の
対角線の中まで濡らし、
遍く季節の噴水が
烏帽子のいろを
補色残像、
させて、
消え、
【春】
チェーンソーの持ち手が外れてしまって。
無辺大の遠く向こうへ自走していった。
──靴に蛙が眠っている。
靄の切株に白人老夫の赤ら顔。
が、切られて。首が跳んで。
老夫は未だ赤ら顔。
ほほえみながら目を見開く。カッと。
「I AM STUMP!」
「HA、HA、HA!」
牛の尾のように跳ね返るチェーンソー。
そして私が切られて。
首から上が斬られて。
断面からインターネットに接続され。
(あなたが落とした顔はこれです)と接続されてゆくGPS!」
「OH、MY……」
「ガッ!」
【銀座まで】
風邪で壊れたモデルガンの腐臭
ゲル状のジャガイモ、
音楽を着るマスクの
塩、コップの豆が詩を聞いているたびに
日ふるように噴石。ぴーーーーっと、風船
春の嵐と忌日と重なり
にんじんが折れた後、
君のアジアのまわりには大きな深い沸騰石のかけらがあって、
黴を追っているのも三組
シベリアで厳しく美しく
銀座までみちびく手のひらの朕じゃない
編集後記
小笠原鳥類
私の知識が、ないだけかもしれないが、今回のアンソロジーでは、〈この人は、どのような詩を書くのだろう? まだ私には、わからないなあ〉である、新しい人たちに、詩を書いていただきました。ありがとうございます。
私は1977年に生まれて、こどものころにネットがなかったことが残念なのである。たくさんのことを知りたかったのに。もちろん本や新聞や雑誌、テレビもあれば、学校で先生の話を聞くこともあった。だが、知りたいことを先生が教えてくれないこともあるし、学校の図書室の図鑑は古いもの(私が生まれる前の本)が多くて、おもしろいけれど、最新の生きものについての知識を次々に……ではなかった。
20世紀よりも、21世紀のほうが、ネットで次々に、生きものなどの、好きなことの知識を探せる。ここで〈詩とは何か〉という問題を出してしまうけれど、ようするに、好きなことがあって、好きだ―!と言えれば詩である。むずかしいとか、いろいろ言われても、好きなことを、好きな言葉で書けていれば詩だ。
自分の書き方を、これでいいのかと疑うのはいいのだが、好きであることから離れてしまってはいけない。21世紀の現代詩は、たくさん好きなことを知ることができる人間が、たくさん好きなことを書く詩である。
私は、こどものころから、どうしても、他の多くの人ができるのだろうことが、できないことが多い。体育やスポーツは壊滅、自転車に乗れない、恋愛に興味もない、性欲もない、機械などを丁寧に(壊さないように)取り扱うことができない……結局、他の多くの人が好きなことが、好きではないようで、他の多くの人が好きではないことが、メチャクチャ好きなのだろう。
現代詩は、しばしば、ほとんどの人が好きではないけれど、好きな人も時々いるものだ。〈みんなにわかるように書け〉と言われても、みんなにわかるようなものを、自分が好きでなければ話にならない。
このnoteのアンソロジーは、たくさんの人が好きなものではない、かもしれない。だが、このようなものが好きで、書くことで生きている人たちの言葉である。
それから、好きなことを書くことが、他の人を傷つけないようになっている配慮も見られる。そのような配慮なんか、いらないとも言われそうだけれども、しかし、自分が生きることと他の人が生きることを両立させたい。あるいは、他人への配慮ではなくて、好きなことを書いたら他人とは関連のない謎の孤立の言葉になっているだけなのだろうか。それも読みたいなあ。
壹岐悠太郎さんの詩の「豹々」が、蝶々よりも、やわらかくて、他の言葉たちとともに、ひらひら飛ぶように舞うようで、崩れそうでもありそうで、骨があるのかないのか、やわらかいキノコのように喜ぶようだ。(人の名前を50音順で並べています)
医ヰ嶋蠱毒さんの詩には「鋸刺鮭」があって、いい。このアンソロジーの他の人たちもそうだけれど、好きな言葉だけ並べて書いていて、好きでない言葉(文字、単語、文)を書かないので、すっきり読めないのが、確実な愛情の緊張でもある。わかりやすく読みやすく書いた文章には、どうしても、ゆるい、かったるいところが混ざる。読者の理解を考える愛情でもあるのだが、しかし、そのようでない愛情が現代詩であっても、うれしい。
帛門臣昂さんの詩は、このようなものを今、書きはじめた、今「生成」してきた、という勢いの喜びだ。数人の詩人(吉増剛造やキキダダマママキキ)を好きで読んでいるのだろうと想像させる。このアンソロジーの人たちには、好きなことの着実な勉強があるのだが、書き方のルールを決めて従うことで、書くことが楽になっていくことの弱さになっていかないようにしてほしい。
小山尚さんからは、今回のアンソロジーの人選で、アドバイスをいただいている。ありがとうございます。〈詩とは、こういうものだ〉と狭く決めるのではなくて、もっと、たくさんのことを調べて知って、ひろい詩を書いているのは、信頼できる好奇心だ。このようなものを読むと、書くことができる詩を、まだ詩人たちが、まったく書いていないことがわかる。
髙雄宥人さんは、ゆったりと、意外なことを次々に出現させる。次に何が出てくるのか予想できない、不安な喜び。
すみません、まちがえて、林ケンジさんからお送りいただいていた詩を「Σ詩ぐ魔」の10号に載せてしまい、急いで特別号の詩を新しく書いていただきました。理解する楽しさと、理解しない楽しさとの共存の「音楽」だ。ポップな、歌の歌詞と、楽器の演奏が、文字だけで、出てきている。
暇野鈴さんの詩を読んでいると、20世紀前半の、いわゆる〈モダニズム〉の詩を、どのように読んで栄養にするか、考えたくなる。実験だらけの過剰な詩を、往々にして人は、読まずに否定するだろう。文字・単語・文のギラギラを拾って、細かく楽しく読むことができるのに、むずかしそうと敬遠する怠惰が、つまらない。
それから私は、詩は無意味であってほしくなくて、今はネットもあるのだし、1つ1つの知らない文字や単語を調べて読んで、できるだけ、わかっていきたい。無意味でいいんだと言ってしまうと、いいかげんになるし、(時代の?)大きな動きに呑まれてしまうかもしれない。勢いだけで進んでしまうのは、あやうい。書くときも読むときも、しっかり落ち着いて吟味したい。わからなかったことを、過激な実験によって、わかるようになりたい。すでに、わかっていることをグルグルいつまでも書くと苦しい。
横井来季さんの厳しい言葉の緊張が、まがまがしい。……感想の文が短いから、あまり評価していないのだ、と想像しないでほしい。1人1人について感想を書いたのであるけれど、それらの感想は、他の人の詩にあてはまるところも多いはずだ。1人1人バラバラに書いている、ということと、それでいて、けっこう共通するところもある、ということ。現代詩は孤立の言語であるようにも見えるのだけれど、しかし、意外に孤立していない。
好きなことを知ること、知ることを好きになることで、次々に、詩を、ひろげていきたい。このアンソロジーには、外にひろがっていく動きが出てきているようだ。まだ、はじまったばかりだが、はじめることはできているはずである。そして、はじめることを続けなければならない。
関連リンク
澪標 http://www.miotsukushi.co.jp /
∑詩ぐ魔(特別号)
――――――――――――――――――――――
発 行 2024年6月25日
責任編集 小笠原鳥類
発行人 松村信人 matsumura@miotsukushi.co.jp
協 力 山響堂pro.
発行所 澪標