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💿CAROL - 音楽シーンへの功績は計り知れない (デビューシングル「ルイジアンナ」は英語バージョン) -

あー、キャロルね、バンド名を聞くだけでスルーされる方が多いのも事実です。それもわかります(笑)

そんなバンドですが、キャロルの歌詞と唱法は、サザンの桑田佳祐にまで受け継がれているように思うのです。

CAROL

実にバンドのイメージが悪かった。
リーゼントに革ジャン、ライブをすれば暴走族が集まりと、今思えば周りが幼かっただけなのですが。

1972年4月、矢沢永吉が川崎駅近くのイトウ楽器店に自ら書いた貼り紙で募集をかけ、同年6月結成される。貼り紙の文句は、「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム!」だった。

もともと、ビートルズのコピーバンドとしてスタートし、ハンブルク時代のビートルズのロッカーズスタイルを真似することで注目を集める。また、オリジナル曲にもその影響が多く見られる。矢沢=大倉の二人で多くの作詞作曲を担当(主に矢沢永吉作曲、ジョニー大倉作詞)した。

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所有するキャロルのレコード
右端が「GOOD-BYE CAROL」

学生の頃から、何十年と聴き続けていたのは右から2枚目のアルバム「CAROL 20 GOLDEN HITS」です。当初はこの1枚しか持っていませんでした。

GOOD-BYE CAROL

キャロルは1975年4月13日に日比谷野外音楽堂で解散。その直前、1975年4月5日に発売されたのが、このアルバム「GOOD-BYE CAROL」です。

デビュー曲「ルイジアンナ」は、最初は全編英語詞であったが、レコードが発売される直前になって、レコード会社から、英語詞では売れないから歌詞を日本語にしてほしい、との要請を受け日本語に変更したのが切っ掛け。

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と言うことで、以下、アルバムより英語バージョンの曲を、私の記事では珍しく4曲連続で。

ルイジアンナ(試作)

ヘイ・タクシー(試作)

やりきれない気持ち(試作)

涙のデディー・ボーイ(試作)

解散後には矢沢永吉がソロで活躍するも、ジョニー大倉と作った曲がもっと聴きたかったですね。
ビートルズのコピーバンドから始まったキャロル、この辺りもビートルズ的でしょうか。

功績(日本語ロック論争の収束)

1972年12月、キャロルがデビューして、日本語英語チャンポン歌詞+矢沢永吉の「巻き舌唱法」で商業的な成功を収めると"日本語ロック論争"は、何語で歌うかは問題外になり、それまでのナンセンスな論争も、ロックの精神性云々を問う思想問答も一蹴された。

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ジョニー大倉は、著書でこう語っているらしい。

自作の日本語詞が元の英語詞のリズムを失うことのないようにヴォーカルの矢沢に対し歌い方と発音まで微細にわたり指示。日本語詞にローマ字でルビを振って歌わせたと、著書『キャロル 夜明け前』(2003年)の中で明かしている。例えば「思い出す 彼女の姿…」(「やりきれない気持」より)という歌詞に「Ou moi Dance Kano jiyou no Sugata…」とルビを振って英語的なニュアンスを伝えていったらしい。これが、のちに<矢沢節>と呼ばれるエーちゃんの独特の歌唱法が生まれるきっかけとなったというわけだが、実はこの日本語詞にローマ字でルビを振って英語っぽく歌うという手法をキャロル登場の約40年前に発案・実践していた先駆者がいる。大御所ディック・ミネだ。

Music Calendar


冒頭で書いたように、
サザンの曲を聴くたびに、歌詞と唱法が連綿と受け継がれているように思えて仕方ないのです。

<了>

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