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📿西国三十三所巡礼⑩ - 特別印(中編) -
上記見出し画像は、冬の清水寺。2014.12.14の撮影で、モノクロ加工はしていません(笑)
次の画像は「清水の舞台から飛び降りる」の語源となった舞台。ここから飛び降りると、地上まで12〜13mだそうです。
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前回の続きです。
1,300年「特別印」
2023年4月1日以降は目にする事のない、貴重な1,300年「特別印」です、たぶん(笑)
第十三番〜第十八番
第十三番 石光山 石山寺
第十四番 長等山 三井寺
第十五番 新那智山 今熊野観音寺 (観音寺)
第十六番 音羽山 清水寺
第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺
第十八番 紫雲山 六角堂 頂法寺
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第十四番のデザインは、弁慶の引き摺り鐘。
当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。 むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。
また、この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象が生じたといいます。 良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、 また良いことがあるときには自然に鳴るといいわれています。
「園城寺古記」という戦国時代の記録には、文禄元年(1592)七月に鐘が鳴らなくなり 寺に何か悪いことが起るのではないかと恐れた僧侶たちは、 様々な祈祷をおこなったところ八月になってようやく音が出るようになりました。
また建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き、 これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、 まさに霊鐘というにふさわしい様々な不思議な事件をいまに伝えています。
第十八番のデザインは、生花。
六角堂の北側に、聖徳太子が身を清めたと伝えられる池の跡があります。この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるようになりました。代々六角堂の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中でさまざまな工夫を加え、室町時代の「いけばな」成立に至ります。東福寺の禅僧の日記『碧山日録』には、寛正3年(1462)に池坊専慶が花を挿し、京都の人々の間で評判になったことが記されています。
池坊は六角堂の住職だったのですね。
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第十九番〜第二十四番
第十九番 霊麀山 革堂 行願寺
第二十番 西山 善峯寺
第二十一番 菩提山 穴太寺
第二十二番 補陀洛山 総持寺
第二十三番 応頂山 勝尾寺
第二十四番 紫雲山 中山寺
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第二十番は、亀。
HPを見ても由来は分かりませんでした。
ただ、境内の池には亀がたくさん飼われていましたし、池の中に建つ閻魔堂の土台部分の右下水面を見て頂ければ、亀が頭を持ち上げているのがわかると思います。
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第二十三番は、達磨。
六代座主、行巡が清和天皇の病を祈祷で治し、その功を示したことにより「ここはまさに王に勝った寺、勝王寺である。」と帝より命名される。しかし、寺側はあまりに畏れ多いと「王」を「尾」に控え「勝尾寺」と称する様になった。以来、当山は「勝運の寺」として広く信仰され、古くは源氏、足利氏ら歴代の将軍や武将達が勝運を祈り、 参拝を重ねてきた歴史がある。
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第二十四番は、妊婦。
中山寺の御本尊は、十一面観世音菩薩です。そのお姿はインドの王妃勝鬘夫人(シュリーマーラー)が女性を救済することを願った故事にもとづき刻まれた等身大の像であり、特に懐胎・分娩の苦を除くとされています。
女性からの信仰は勿論のことながら、古くは源行綱(多田行綱)や豊臣秀吉も世継ぎを願い、秀頼を授かって以来、子授け・安産の寺として更に名高く知られるようになりました。
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妊婦さんに優しい「中山寺」
後編へ続く。
<了>