見出し画像は隠岐の島にある知夫里島、知夫村仁夫地区の湾内。右が私で6歳頃かと思います。
私自身は昭和36(1961)年に鬼太郎のまち鳥取県境港市で生まれ、生後50日から大阪市港区、小2の夏休みに大阪府四條畷市へ引っ越し、現在に至ります。
既に亡くなっている両親(父:昭和8年生まれ、母:昭和9年生まれ)は、隠岐の島にある4島の中で一番本土に近い知夫里島の生まれです。
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夏に過ごした知夫里島の思い出話を淡々と書く予定でしたが、せっかくですので、幼少期の記憶や過去に聞いた話が正確だったのかも、所有する新修 知夫村誌(平成8年12月1日発行)やネット等で調べながら進めます。
使われている画像は註釈がない限り私が所有するもので、カラーのものは2009年撮影です。
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知夫里島と知夫村
島&村の紹介から始めます。
知夫里島には知夫村があり、古代から一島一村で、「知夫」の由来は以下の通りとなります。
実際、古墳もあります。
相当古くから、この島には人が住んでいたのがわかります。
親戚:「村は人よりタヌキの方が多い」
タヌキが多いのは間違いありません。島を歩くだけで結構な頻度で出会えます。
ただ、タヌキが持ち込まれた経緯は、Wikipedia が正しいのかと疑問に思える内容が知夫村誌には書かれています。
島&村の紹介最後は、知夫村ホームページの動画をお楽しみ下さい。
飲み水
父:「子どもの頃は電気も無く夜はランプで、飲み水に使うのは井戸水、雨樋の水も貴重で貯めては使っていた」
昭和43年度に簡易水道完成、私が大阪市から四條畷市に引っ越す頃です。当時、大阪市民も四條畷市民も、そんな土地があるとは誰も思っていなかったでしょうね。
知夫村における電気の普及がいつだったのか、調べてもわかりませんでした。知っている方がおられましたら、教えて下さい。
湧き水
親戚:「アカハゲ山で牛が放牧できるのは、大山の水が何千年もかけて日本海の下をくぐって水が吹き出ているから」
平成8年12月発行の新修 知夫村誌を読むと夢は無限に広がりますが、環境省の平成28年3月にまとめられた「隠岐の人と自然の学習帳」の資料には、次のように書かれていました。
他では聞いたことのない淡水レンズの仕組み、面白いですね。
知夫村誌発行から20年経過し夢は幻になるのかも知れませんが、これが今の考え方です。
思いついた順に検証しだすと、考えていた半分も書ききれず次回へ。
<了>