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祝!イチロー殿堂入り! を期に、日米の「野球殿堂」を学んでみた

2025年1月22日。
日米の野球界に新たな歴史が刻まれました。

日米のプロ野球で活躍し、2019年に引退したイチローさんが、アメリカ野球殿堂入りを果たしたのです。

アジア人としては初の殿堂入り。
ネットやテレビでも、このニュースは大きく取り上げられました。

しかも、1月16日には日本の野球殿堂入りを果たした顕彰者も発表され、その中にもイチローさんの名前が。
日米同時殿堂入りを果たしたのです。
これはもちろん、日本人選手としては史上初。


野球ファンにとって、野球殿堂入りがどれだけすごいことなのかは熟知していると思いますが、野球に詳しくない方にはあまりピンとこなかったかもしれません。

殿堂入りってどれだけすごいの?
イチローが殿堂入りするなら、大谷も殿堂入りするの?

私も日本の野球殿堂はよく知っていますが、本場アメリカの野球殿堂については全然知りません。

そこで、イチローさんが殿堂入りを果たしたこの機会に、アメリカ野球殿堂について調べてみました。

また、日本の野球殿堂についても調べ直したので、記事にまとめてみます。
アメリカは遠いですけど、日本の野球殿堂は東京にありますので、興味が湧いたら見に行くこともできますよ。


発表から少し時間が経ってしまいましたが、最近暗いニュースばかりなので、この明るいニュースを掘り下げてみたいと思います。


イチローの軌跡を振り返る

野球殿堂の話に入る前に、まずはイチローさんのプロ野球での軌跡を振り返りってみましょう。
野球ファンにとっては馴染み深い話だと思いますが、野球に詳しくない方でも驚くような内容です。

日本プロ野球での歩み

イチロー(本名:鈴木一朗)は、1992年に愛工大名電高校からオリックス・ブルーウェーブに入団。
ドラフト1位での華々しい入団ではありませんでしたが、オリックスが単独4位で指名したのです。

なお、オリックス・ブルーウェーブという球団名は現在存在しません。
球団名がスポンサーや本拠地の関係で変わることは珍しくありませんが、現在のオリックスは「オリックス・バファローズ」。
2006年、オリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズが合併して誕生しました。
その結果、両球団は消滅しています。
イチローさんも引退会見で「もう神戸の球団はありませんから」と語っていました。

入団後、2年間苦労の時期を過ごしましたが、1994年に登録名を「イチロー」に変更すると才能が開花。
日本プロ野球初となるシーズン200安打を記録します。
この年から7年連続で首位打者に輝き、パ・リーグMVPを3度受賞しました。

阪神・淡路大震災と「がんばろうKOBE」

1995年は特に印象深いシーズンでしょう。

この年の初めに阪神・淡路大震災が発生。
オリックスの選手たちは、ユニフォームの袖に「がんばろうKOBE」のワッペンをつけ、ファンとともに震災復興を後押ししました。

その結果、チームはリーグ優勝を果たします。
しかし、日本シリーズではヤクルト・スワローズに敗れ、日本一には届きませんでした。

翌1996年、チームは再びリーグ優勝し、読売ジャイアンツとの日本シリーズを制して悲願の日本一に輝いたのです。

震災から30年が経った今でも、多くの人がこの時のオリックス・ブルーウェーブの活躍を覚えていることでしょう。

メジャーリーグ挑戦

イチローは2000年まで日本でプレーし、同年にメジャーリーグへの挑戦を発表。
移籍先はシアトル・マリナーズでした。
日本人野手としては初めてのメジャー挑戦となり、その活躍が大きな注目を集めました。

メジャー1年目から、新人王とMVPを同時受賞。
アメリカでもすぐに人気選手となります。

さらに、2004年にはシーズン262安打のメジャーリーグ新記録を樹立。
この時は日本でも連日報道され、スポーツニュースでも毎日のように取り上げられました。
現在の大谷翔平選手の活躍に匹敵するほどの熱狂ぶりでしたね。

その後、イチローさんは2012年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍。
長年マリナーズの顔として活躍していたため、ヤンキースのピンストライプのユニフォームを着た姿は新鮮でした。

2015年にはマイアミ・マーリンズに移籍し、2016年にMLB通算3,000安打を達成。
メジャーリーグで3,000本ものヒットを打つという快挙を成し遂げました。

試合では、「ICHI-METER」を掲げるファン、エイミーさんの存在も話題になりました。
彼女は手作りのボードでイチローさんのヒット数をカウントし続け、日本でもその姿がたびたび紹介されました。

buzzfeed様の記事より。
エイミーさんの「ICHI-METER」は、後述するアメリカ野球殿堂博物館にも収められています。
ファンの手作りサインボードが博物館に飾られるなんてすごい!


最終的に、イチローはメジャー通算3,089安打を記録し、オールスターにも10回選出。
2007年のオールスターでは、史上初のランニングホームランを放ち、MVPを獲得。
この試合は私自身もテレビで観ていましたが、本当に驚きました。
ランニングホームランなんて、そうそう出来るプレーではありませんから。

引退

2018年、イチローは古巣マリナーズに復帰。
しかし、キャリアは終盤を迎えていました。

そして2019年、開幕シリーズとして東京ドームで開催されたアスレチックス戦で引退を発表します。

試合中に「試合終了後にイチローについて発表がある」と速報が流れ、ファンはすぐに引退を察したと思います。

試合の終盤、監督がベンチから出てきてライトを指すと、守備についていた選手たちが一斉にベンチの方へ駆け寄ります。
これはイチローを送り出すための花道でした。

東京ドームは拍手に包まれ、イチローがゆっくりと選手たちの元へ駆け寄り、次々と仲間たちと抱擁を交わす。
中には涙ぐむ選手の姿も。
本当に感動的な瞬間でした。

試合後、観客は誰も帰ろうとせず、イチローさんの姿を最後まで見届けようとドームに残ります。
その声援に応え、イチローはベンチから飛び出し、グラウンドを一周してファンに別れを告げたのでした。

この引退シーンは、多くの人々の心に刻まれていると思います。

シアトル・マリナーズ公式Youtubeより。(注:英語実況です)
イチロー最後の選手交代。選手たちと次々に抱擁を交わします。
この模様はテレビでも中継され、多くのファンの記憶に残っています。

アメリカ野球殿堂とは?

では、そんなイチローさんが栄誉を受けた、メジャーリーグの野球殿堂とはどのようなものなのでしょうか?

クーパーズタウンの野球殿堂博物館

アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame and Museum)は、ニューヨーク州クーパーズタウンにある、野球の歴史と功績を称える博物館および殿堂のこと。

野球界で顕著な活躍をした選手のみならず、監督、審判、球団関係者など、野球界に多大なる貢献をした方々が殿堂入りの対象となります。

野球殿堂は、1936年に創設。
初代殿堂入り選手として、ベーブ・ルース、タイ・カッブ、ホーナス・ワグナー、ウォルター・ジョンソン、クリスティ・マシューソンの5人が選出されたそうです。

ベーブ・ルースは日本でも有名で、戦前に開催された日米野球で来日したこともあります。
大谷選手のニュースでもその名が出てきましたね。

彼は「偉大なホームラン王」として有名ですが、デビュー当初は投手だったそうで、私も大谷選手の活躍のニュースで初めて知りました。

その後、1939年に博物館が開館。
クーパーズタウンが選ばれたのは、「野球発祥の地」とされた伝説に基づいたからだそう。

1839年にアブナー・ダブルデイがクーパーズタウンで考案したのがベースボールである、という説により、このクーパーズタウンに博物館が創設されることになりました。

博物館の近隣には、その名を称えた「ダブルディ・フィールド」という野球場もあるそうです。

しかし後年の研究により、その時代にクーパーズタウンにダブルデイはいなかったということが判明しており、この説が誤りであったことが判明。
正式には、18世紀にイギリスで野球のような遊びをしていた、という文献があり、そちらの説の方が有力なんだとか。


この博物館には、野球の歴史や現在活躍している選手、チームに関わる記念品の展示や、野球殿堂入りした方々のレリーフが飾られています。

記者会見で、イチローさんも「現役時代を含め、7回訪れたことがある。偉大な選手の道具を見ることで、彼らの功績に触れることができるので、何度も訪れた」と語っています。

実際に博物館を訪れた方の動画を見ましたが、静かな田舎町に重厚な雰囲気の博物館が静かに建っている印象。

博物館ですから「格式」と「教養」をしっかり伝える展示施設になっています。
日本にまつわる展示も数多いようで、上原投手の愛用グローブなどの展示もあるそうです。
なんと、2023年のWBC優勝決定の瞬間、大谷選手が放り投げたキャップも展示されているのだとか。

ぜひ一度訪れてみたい施設ですね。

実は私、博物館を見学するのが好きでして、アメリカにも訪れてみたい施設が数多くあります。
スミソニアン博物館とか、ケープ・カナベラルのNASAの施設とか、インディアナポリス・モータースピードウェイの博物館とか。

アメリカ以外の国にも、イギリスの鉄道博物館もすごいそうですし、ル・マンにある博物館もマツダ787Bをはじめとする歴代優勝車が数多く展示されているそうなので行ってみたい…

野球殿堂入りの条件

話が壮大に逸れてしまいましたが…
では、野球殿堂入りの条件とはどんなものなのでしょう?

そのひとつに、BBWAA(全米野球記者協会)による選出があります。
条件は以下の通り。

引退後5年以上経過した選手
MLBで10年以上プレーした選手
投票資格のある記者(BBWAA)が75%以上の支持を与えた選手

なお、投票は最大10年間(以前は15年間)有効だそうで、得票率5%未満の選手は翌年以降の投票対象外になるそうです。

あの感動の引退試合からもう5年も経ったのか…と感慨深い気持ちになりましたが、イチローさんは昨年に資格を得て、早速殿堂入りを果たした、というわけです。

しかし今回、「満票にあと1票」と話題になりましたが、つまりはBBWAAの記者のうち、1名はイチローさんに投票しなかった、ということになります。
まぁ記者の間でも推しの選手や贔屓の選手もいるでしょうから、満票にならなかったのは仕方ありません。

イチローさんも、「票を入れなかった記者を呼んで、酒を飲みたい」と言っていましたね。
やっぱり、ちょっと気にしているんでしょうか?


また、ベテランズ委員会(Era Committees)による選出もあるそうで、BBWAAの投票で殿堂入りしなかった選手や監督、エグゼクティブらを再評価する制度だそうです。

監督や球団関係者も対象になるわけですから、広い分野からまんべんなく審議されるのですね。

意外にも日本人初の快挙

日本人選手がアメリカ殿堂入りを果たしたのは、今回のイチローさんが初めてでした。

日本のファンからすると、もっと他にも殿堂入りに値する選手はいなかったものか?と思いますが、BBWAAの支持を得られなかったのでしょうか?

MLBへの扉を開いた野茂英雄さんや、松井秀喜さんも殿堂入りして然るべき選手だと思うのですが、流石にMLBの選手は数多くいますから、具体的な数字を出さないと殿堂入りまでは難しいのかもしれません。

となると、大谷選手が殿堂入りするには、まず10年はMLBで活躍してもらう必要がある、ということになります。

数々の記録を打ち立て、「大谷ルール」まで出来てしまったのですから、その功績は殿堂入りに値する、と現時点では思っていますが、まだまだ活躍してもらって、もっとすごい記録を打ち立てて欲しいものです。

アメリカ野球殿堂博物館のHP。
野球殿堂レリーフの展示はもちろん、MLBの歴史を学べる展示の数々。
かつて存在していた黒人リーグ「ニグロリーグ」の展示もあるそうです。
もちろん英語での紹介となりますが、今はブラウザで翻訳してくれるので日本語でも内容はよくわかると思います。

シアトル・マリナーズの公式Youtubeより。(注:全編英語です)
イチロー夫妻が博物館を訪れた際の映像。
博物館内の様子が一部わかる上に、ヒット記録を打ち立てた時の映像や、ICHI-METERの展示まで!本人も驚いていました。

日本にも野球殿堂がある!

イチローさんのアメリカ殿堂入りの功績を讃えるニュースで影が薄くなってしまいましたが、日本にも野球殿堂はあります。

今年も顕彰者が発表され、その中にはイチローさんの名前も。
日米同時殿堂入りを果たした、最初の日本人選手でもあるのです。

日本の野球殿堂博物館

日本の野球殿堂は、野球界に多大な貢献をした選手、監督、審判、球団関係者を称える施設。

アメリカの野球殿堂をモデルにしており、日本野球の歴史を保存・展示する博物館も併設されています。

場所は東京ドーム内にあり、スタジアムとは別に入場料を払って入ることができます。
当然、ゲームがない日も開館日であればいつでも入ることができる施設です。

設立は1959年。アメリカに倣い、日本でも野球界の功労者を称える目的で創設されました。
かつては、後楽園球場に併設されていたそうで、東京ドームのオープンに合わせて移設されました。

博物館は私も子供の頃、母に連れられて入ったことがあります。
中に入ると、日本野球の草創期から、現代まで数多くの展示がずらり。

王貞治さんのホームラン世界記録のコーナーもありますし、後楽園球場で世界記録を打ち立てた時のホームランボールが落下したスタンドの椅子が展示されていました。

野球殿堂は専用のフロアがあり、広い部屋の両側にずらっと並んだレリーフは圧巻でした。

見に行ったのは本当に昔なので、今やその数はものすごいでしょうし、展示内容もだいぶ変わっていることでしょう。

殿堂入りの条件

日本の野球殿堂入りの条件は以下の通りです。

プレーヤー表彰
引退後5年以上が経過した元プロ野球選手で、通算実績が優れた選手が対象。
有識者(野球記者)による投票で選出し、得票率75%以上で殿堂入り。

エキスパート表彰
監督・コーチ・審判員・球団関係者など、プロ・アマ問わず、野球界への貢献が基準。
特別委員会の選考による。

特別表彰
作家、記者、研究者、野球普及活動家など、特に野球界に顕著な功績を残した人物を顕彰する。
特別委員会による推薦で選出。

顕彰者の多くはプロ野球選手や関係者ですが、アマチュア野球の指導者など、多くの方が殿堂入りを果たしています。

殿堂入りした主な方は、「世界のホームラン王」王貞治さんや、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さん、「ID野球」のノムさんこと野村克也さんなど。
星野仙一さんや落合博満さんの名前もあります。

プロ野球で大活躍した選手たちが殿堂入りしていますから、野球を見てきた年代によって、知っている名前、初めて聞く名前があるでしょう。
実際に博物館を訪れると、レリーフを見ながら時代を感じ、楽しめると思います。

野球殿堂博物館のHP。
東京ドーム21番ゲートの隣に、特徴的な彫刻があしらわれたスペースに入り口があります。
東京見物の一環として訪れてみては?
…でもイチローさんのレリーフが飾られたら、混雑するかもしれませんね。

イチローさんに用意されたもうひとつの栄誉


日米同時殿堂入りを果たしたイチローさんですが、もうひとつ栄誉が用意されていました。
なんと、彼が所属するシアトル・マリナーズから、「背番号51を永久欠番とする」と発表されたのです。

永久欠番とは?

プロ野球における永久欠番とは、特定の選手が偉大な功績を残したことを称え、その背番号を他の選手が使用できないようにする制度のこと。

これは球団ごとに決めることができ、メジャーリーグにも日本のプロ野球にも存在します。

例えば、読売ジャイアンツの永久欠番は数多く存在します。

有名なところでは、王貞治さんの「1」、長嶋茂雄さんの「3」、9年連続日本一「V9」を達成した川上哲治さん。

長嶋さんはかつて監督就任時にも背番号3をつけておらず、3にちなんだ「33」をつけていましたが、広島からフリーエージェントで入団した江藤智選手にその番号を譲り、自身は次の年から「3」を背負うことを発表。ファンを大いに喜ばせました。

また、第二次世界大戦を乗り越えたものの、終戦後の1947年に現役選手のまま病死した黒澤俊夫さんの「4」。

そして、日米野球で並いる強打者を打ち取り、後に巨人のエースとなる沢村栄治さんの名前もあります。

沢村さんは戦時中に召集され、1944年に戦死。
彼の背番号「14」は永久欠番とされ、さらにその年の最優秀投手に贈られる「沢村賞」としてその名が残っています。

メジャーリーグの有名な永久欠番としては、背番号「42」のジャッキー・ロビンソン。
彼は1947年にメジャーリーグと契約した、初めての黒人選手です。

アメリカ国内で人種差別が根強かった頃、黒人選手だけで運営されていた「ニグロリーグ」が存在しましたが、彼はそこからブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス)に入団。1955年まで活躍します。

その後、アメリカ国内では公民権運動が巻き起こり、人種差別撤廃の動きが活発となります。

今や当時のような大っぴらな人種差別はほぼなくなりましたが、そのきっかけを作った1人として讃えられ、1997年に彼の背番号「42」が全球団で永久欠番となりました。

毎年4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定され、この日のゲームは全選手が背番号42をつけてプレーします。

チームにとって多大なる貢献をし、記録にも記憶にも残る選手が選ばれる永久欠番。

イチローさんを最初に迎えたシアトル・マリナーズが、彼のトレードマークとも言える「51」を永久欠番としてくれることは、日本のファンにとっても喜ばしく、誇らしいことです。

もちろん、本人も心から喜んでいました。
「サインに51とずっと書けるのはいいですね。ちょうど51歳ですし」とジョーク混じりに語っていましたが、51番の背番号は未来永劫讃えられることになります。

おわりに

イチローさんの功績を振り返った上で、日米の野球殿堂、そして永久欠番についても学び、語ってみました。

メジャーリーグの長い歴史の中で、アジア人として初の殿堂入りを果たしたことは本当にすごいことですし、日本のファンとしても誇らしいことです。

記事の中でも触れましたが、日本人選手として次に殿堂入りを果たす最有力は、やはり大谷翔平選手でしょう。
長くアメリカの地でプレーし続けてほしいですし、さらなる大きな記録も打ち立ててほしい。
まだ若いですから、プロ野球の歴史を変える、すごい選手になってくれるはずです。
そのプレーをリアルタイムで見られるわけですから、ファンとして注目していきたいですね。

また、日本のプロ野球も長い歴史を歩んでいます。
日本の近代史を学ぶ上でも、日本の野球殿堂にも注目していただきたい。
日本で長く愛されてきた理由がわかるはずです。

私も久しぶりに野球殿堂博物館に足を運びたくなってきました。
時間を見つけて行ってみようかな。

タイトル画像は、シアトル・マリナーズ公式Xのポストより使用させていただきました。
The title image was used from a post on the official Seattle Mariners X account.

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