掘りたい堀田医院
最後の夏というのは何も甲子園に限ったことではなく、どんな高校三年生にも平等に訪れるものである。バドミントン部の主将であった私にも、最後の夏は当然訪れるはずだった。が、不幸にもついぞ叶わなかったそれは、思い出の中で宙ぶらりんになっている。
その不幸というのは、練習中、左目にシャトルが当たり、眼底出血してしまったという事故だった。左目の中には血が舞い、視界はやや黒ずんだ。引退試合数週間前のことであった。
高校時代、勉学に励んだ記憶はほとんどなく、バドミントンばかりしていた。朝の始業前と放課後の練習はもちろん、毎日早弁をして昼休みも体育館で練習していた。土日ももちろん練習で、バドミントン以外にはバンドの練習しかしていない。
眼科へ行った。特に薬などは出されなかったが、運動により目の中の血が止まらなくなるので、数日間安静にしておけということだった。その数日間に最後の大会の日程が含まれていた。先生は落ち込む私に、「人生これからのほうが長いんだから」と声をかけてくださった。理屈は理解できても何の慰めにもならない。若者の未来は前途洋洋だとよくいわれるが、目指す未来も振り返る過去もなく、今がすべてだという者も多いと思う。私の場合はそうだった。
こんな形で高校バドミントン生活に終止符が打たれるとは、夢にも思わなかった。ダブルスのパートナーにも、団体戦の他のメンバーにも申し訳なかった。何より、私に怪我をさせてしまった彼が、本当に気の毒だった。
当時はかなりショックであったが、今ではこうやって話のネタになるし、なんだか寓話的な教訓にもなっている(気がする)ので良かったんじゃないかと思う。不幸は不幸かもしれないが、いつまでもクヨクヨしていたって埒が明かないし、悲しい私で居続けているのも精神衛生上よろしくない。落ち込んでしまったときは、笑えるかどうかは別として、とっととヨソで話せるエピソードにしてしまうのが吉だと思う。
そう、不幸は笑うべきなのだ。人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だと、かのチャップリンも言っている。たいていのことは時間が経てば笑い話になっている。それには差があって、その日のうちに話せるものもあれば、歴史的事実とならねば触れられないものもある。
悲劇のヒーローやヒロインになりたがる者は多い、それも無意識に。それって歓迎されていないし、はしゃいでいるのは自分だけである。
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