無職、薬漬けの妹、炎上病アイドルの群像劇——「ベイビー・ブルー・クラスター」【書評】
"本物"にしかわからないことがある。精神科や職業相談窓口に通う鬱屈とした日々。布団の中では推しVTuberの配信で一時的に気を紛らわせるが、ふとした瞬間に自己嫌悪に陥る。そのサイクルを繰り返す。……これは私の昔話で、"本物のかけら"程度でしかないのだろうが、さておき——
肥大化したエゴの中で渦巻く負の連鎖、とでも呼べばいいのだろうか。「ベイビー・ブルー・クラスター」はまさに、そんな"本物"の社会不適合者が共感できる心理・描写が満載だった。
↑Comic Walkerさんで1話試し読みできます
本作はにゃるらが原作をつとめる漫画作品だ。にゃるらさんといえば、国内外で大人気を博した育成ADVゲーム「NEEDY GIRL OVERDOSE」のシナリオライターとして最近は有名。アングラやインターネット文化に精通し、それをライターとして長年文章で表現し続けてきた彼だからこそ、この漫画もまた闇(病み)が凝縮された作品に仕上がっている。
あらすじ——シェア薄
本作の舞台となるのはモラトリアム・ハウス。一般的なシェアハウスとは異なり、一癖ある人間達がネットの力で集まって共同生活を送る住居だ。住民は鬱病で休職しているエ○ゲ原画師、元エンジニアの中年アル厨、ダメ人間を観察するために遊びに来るバンドマンとかなり濃いメンツ。ゴミが散らかったリビングで、ゲーム三昧の日々を過ごしている。そんな退廃的な空間で、主人公・鏡水現(生活保護受給者の無職)は、薬物でトリップを繰り返す妹・虚と共に暮らしている。
そこに殴り込むのは、思ったことをすぐ口に出してしまう炎上病地下アイドル・天久ルシ。無遠慮なオタクに暴言を吐いて事務所を追われたその日、彼女はひょんなことからモラトリアム・ハウスを訪れることになり、住民たちと絆を深めていく。……なんかパワーワードばっかり使ってるけど、本筋は意外と真っ当にボーイ・ミーツ・ガールしてます。
なぜ彼らはこうなってしまったのか、なぜルシは彼らに惹かれるのか。それは読んでからのお楽しみということで——冒頭で述べたサイクル、負の連鎖が、私にとって本作で印象残ったポイントだ。過去をぽつぽつ語り出したかと思えば、対戦ゲームで小学生のように大はしゃぎし、狂ったように絶望を吐き出す。端々で描かれるその劣等感、虚無の境地、童心に帰る心地よさ、蕩尽の繰り返しは——なんだか懐かしいなと、私は確かに思えたのだ。
「この家の無職たちにも繊細なところあるのね」
「……む むしろ無職だからじゃないかな」
「ベイビーブルークラスター」1巻より
そんな住民達に、ルシは時に正論をぶち撒け、時に寄り添い、時に心をこじ開けて予想だにしない景色を見せてくれる。明け透けな物言いと台詞の応酬には思わず笑ってしまったし、言葉のナイフでズタズタにされて「うっ… …」となることもあるが、決して本音を包み隠さない彼女の言葉には、どこか爽快感すら感じる。
そんなやり取りを通して描かれるシェアハウスの"空気感"、これがまたいい。様々な境遇の人間達が呉越同舟となり、だらっと怠惰な日々過ごす。原作をつとめるにゃるらさんはシェアハウス経験者、かわいらしいヒロインを描いてくれる作画のBe-conさんもルームシェア経験者であるためか、説得力のある絵と台詞で、モラトリアム・ハウスという混沌とした異空間が表現されている。
にゃるさんさんは最近、シェアハウスを訪れた時の感想を綴っていた。「この"感じ"は、とても懐かしい。なにもかもぶっつけ本番なので混沌としており、全員の倫理観やノリ、趣味嗜好の傾向を探りながら、それぞれが好きに話を展開していく。」(上記記事より引用)
やがて彼らは、奇妙ではあるが確かな絆を紡ぎていく。モラトリアム・ハウスの止まっていた時間が、少しずつ動き始める——シャアハウス未経験で、人間関係に飢えているぼっちオタクとしては「憧れるなあ。やってみたいなあ」と思えたし、何となく救われる思いがした。しかし——
(※以下、ストーリーのネタバレは含みませんが、あとがきについて言及します。未読の方はご注意ください)
あとがき——ありのままの現実を生きること
しかし、にゃるらさんはあとがきでこんな言葉を残している。かつて自分が住んでいたシェアハウスにテレビの取材が来た。住民たちの鬱屈とした発言は切り取られ、ポジティブな意味に聞こえそうな部分だけ採用される。それは実情を知る者からすれば全くの茶番でしかない。が——
[……]この漫画だって、そうなんです。まるで各キャラクターたちに「意味」があるようにストーリーを仕立てたわけで、
現実の世界には、そんな大層なことはない。もっと、みんな適当に生きて、適当に死んでいく。僕は、それはとても良いことだと思う。
「ベイビー・ブルー・クラスター」2巻より
フィクションと現実は違うと、最後の最後で言ってのけるのだ。本作はボーイ・ミーツ・ガール仕立ての物語になっており、希望を感じさせてくれる描写にあふれているが、そこに、
「勘違いすんなよオタク。現実はこうじゃねえぞ」
……とぶっ込んでくるのが、このあとがきなのである。
一見すると冷たい言葉のように思えるが、「それはとても良いことだと思う」という肯定の言葉で締められている。これはにゃるらさんなりの優しさなのだと私は受け取った。シェアハウスで男女が共同生活を送っても、本作のようにうまくはいかず、恋愛絡みのトラブルが起きるらしい。敷衍すれば現実なんて大抵そんなもの。所詮、「虚構」と「理想」の大義語は「現実」だ。そう教えられた気がした。
こんな物語を読ませておきながら、現実を突きつけてくるのはちょっとズルい。と同時に、誠実な人なんだなとも思う。現実はこの物語ほど大層なもんじゃない。全員が希望にありつけるわけじゃない。みんな適当に生きて、適当に死んでいく。でもそれもいいじゃないか——
そんなメッセージを伝えてくれるあとがきも含めて最高の作品だな、と私は思う。変に希望だけ見せてくるよりもよっぽど共感できる。じゃあその現実とほんの少し向き合ってみるかと思える。それに、たとえ現実とは違っていても、私はやはりモラトリアム・ハウスの住民達が愛おしく思える。共に少しずつ歩んでみようと勇気をもらえる。
曲がりなりにも読書家として生きてきた身だが、あんなに短いあとがきだけでここまで余韻に浸ることができたのは、初めての体験だった。"本物のかけら"を心に宿している自負がある方は、ぜひ本書を手に取ってみてほしい。