【書籍制作過程】どのように1982年、88年の田原俊彦出演番組表を作ったのか?
「コンサートで客席から田原にニンジンを投げた女性ファンがニンジンを持って登場し、謝罪」(82年8月9日 夜のヒットスタジオ)
「柔道コントで横山やすしに『北新地クラブママ』の請求書(昭和49年からの38万円分)を見せる」(82年8月26日 シャボン玉プレゼント)
私の書いた『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の発売からもうすぐ3ヶ月が経とうとしている。
てれびのスキマ(戸部田誠)さんの紹介記事がヤフートピックスになったり、日経新聞夕刊や週刊朝日、週刊新潮の書評に載せてもらったり、ラジオでプチ鹿島さんやマキタスポーツさんが熱く語って下さったり、本当に嬉しい限りの反応を頂いている。
田原俊彦は過小評価されている? 取材・検証の積み重ねと著者の愛情による『田原俊彦論』評(円堂都司昭さん)
https://realsound.jp/2018/09/post-245471.html
⬆ の書評も是非読んで頂きたい。
せっかくなので、この本をどうやって作ったかを少し書いてみよう。
今回は、巻末資料の『1982年、88年の出演番組表』の制作経緯を明らかにしよう。
表では、田原俊彦が82年、88年に出演した番組の名前や曜日、時間帯だけでなく、視聴率、内容、テレビ欄の文言までを綴っている。
『新春かくし芸大会』『オールスター大運動会』『オールスター紅白水泳大会』『たのきん全力投球!』『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』『ヤンヤン歌うスタジオ』など80年代を代表する番組などが事細かに記述されている。
冒頭の<女性ファンがニンジンを持って登場し、謝罪><横山やすしに『北新地クラブママ』の請求書を見せる>という細かい情報は、表に記載されたものだ。
1つ例を挙げてみよう。
82年2月9日
番組名:第9回オールスター雪の祭典
局:フジテレビ
時間帯:19時30分〜20時54分
曜日:火曜
視聴率:18.7
番組内容:司会兼スターターのみのもんたは終始「トシ坊」と呼ぶ
テレビ欄:苗場・軽井沢二元中継!激突トシVSマッチ 郷ひろみ 西城秀樹 松田聖子 柏原よしえ 松本伊代 石川ひとみ 岩崎良美
こんな具合である。82年は362本、88年は172本に及んだ。
トシちゃんに興味がない人でも、80年代カルチャー好きなら、これを見るだけで食い付く 表だと自負している。
だけど、書店で表紙だけ見ても、膨大なデータの詰まった表があることはわからない。
なので、出演番組表の存在を周知させるために、なぜ私が作ろうと考えたのか、どのように調べたのかを書いてみたい。
作成にどれだけ時間が掛かるか想像もできない、むしろどうやって調べればいいのかすら不明なことを、どうして始めようとしたのか。
もともとは、93年と94年の田原俊彦の出演番組本数を比較するだけのつもりで、データ集として掲載するつもりはなかった。
なぜ、その2年をピックアップしたかといえば、ジャニーズ事務所独立がテレビ出演増減と関係しているかを調べるためだった。
本にも似たようなことを書いたが、
今ある言説は、誰かが疑って調べ直さない限り、そのまま受け継がれていく。
田原俊彦でいえば、
「ジャニーズ事務所を独立したからテレビに出られなくなった」
「ビッグ発言で干された」
というものである。
このような定説は、伝言ゲームみたいなもので、時間が経つと、変形していることがほとんどだ。
まず私の記憶の段階で、94年のトシちゃんは普通にテレビのゴールデン帯でメドレーを何回も歌っていた。見掛けなくなったなんてことは別に感じなかった。
ずっと引っ掛かっていたが、特にそれを検証するような仕事もなかったから、この本を通して、徹底的に調べようと思ったのだ。
次に、どうやって当時のテレビ出演番組を調べるかという問題が浮上してくる。
『TVガイド』や『ザテレビジョン』には、『人気タレントの今週の予定』みたいなコーナーがあるので、まずは2誌で何となく把握する。
その後は、ひたすら新聞の縮刷版でテレビ欄を眺め続ける。
これで、ほぼ93年、94年の出演数の見当はついた。
作業を行っている途中、私は気付いてしまった。
「88年バージョンで作ろうと思ったら、できるんじゃない?」
88年と言えば、田原俊彦が主演ドラマ『教師びんびん物語』で高視聴率を取り、主題歌『抱きしめてTONIGHT』が大ヒットした年だ。
歌番組がゴールデン帯に何本もあったし、この頃のトシちゃんは相当数テレビに出演していると容易に想像できた。
思い付いたものの、実行したら間違いなく労力の掛かる作業になる。
あまりに大変なことはやる前から分かりきったことだ。
そんなとき、私は欽ちゃんこと萩本欽一の言葉を思い出した。
「嫌だな〜と思った仕事に運がある」
欽ちゃんは(坂上)二郎さんに「コンビを組もう」と言われた時、『スター誕生!』の司会をやってくれと頼まれた時、嫌だなと思ったと著書などで再三再四、触れている。
言うまでもなく、二郎さんと組んだコント55号で大ブレイクし、『スター誕生!』は超人気番組になった。そして、気がつけば司会の仕事しかしていなかったという。
だから、「嫌だな〜と思った仕事に運がある」というのだ。
欽ちゃんがそういうなら、やるしかないだろう。
私は表の作成を思い付いた時、「大変だな…」と感じた。
だが一方で、大変なことを超えたら、絶対に凄いものができる。そんな確信もあった。
そもそも、「田原俊彦の出演番組表」なんてものは今まで見たことがない。
本の資料でよく目にするのは、年表だ。
しかし、年表を作っても結局、本文と被るし、見たことあるものを作っても価値は上がらない。
“大変で”“見たことないもの”を作れば、必ず読者に引っ掛かると確信し、「嫌だな〜と思った仕事に運がある」という欽ちゃんの言葉に背中を押されて、表作りに取り掛かった。
当初は本数を数えるだけが目的だったが、書籍で表を見せるとなれば、徹底的に作り込まなければならない。
そこで、前述のような項目を並べることにした。
テレビ欄の文言は打つだけでも相当疲弊した。歌手の名前だけが羅列される『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』は比較的楽ではあるが、『なるほど!ザ春の祭典スペシャル』『NG大賞』などの長時間スペシャル番組になると、記入するだけで時間がかかるし、間違いも起こる。とにかく疲れるし、集中力が何時間も続くわけでもない。
時間短縮を図るため、よく出てくる名前は最小限の文字で単語登録した。
「た」と打てば「田原俊彦」、「な」と打てば「中森明菜」、「か」と打てば「河合奈保子」と出てくる(※のちに、「か」=「角川博」登録をすると、混乱が起きる)。
ローマ字入力すると「たはらとしひこ」は14回ボードを叩くことになる。それが「た」なら、わずか2回で済む。
表に限らず、本文でも「田原俊彦」とは何度も打ち込む。
仮に5000回入力すると考えた場合、「たはらとしひこ」なら7万回、「た」なら1万回。この6万回の差は大きい。といっても、膨大な作業と比べれば、気休め程度でしかない。
「バイト雇って任せればいいのに」と言われることもあった。たしかにその通りなのだが、そのバイトが本当にテレビ欄の「田原俊彦」「田原」「トシ」という文字を見落とさないかが心配だし、結局最終的には自分が見ることになる。
ネットのない時代、私は目をサラにして新聞のテレビ欄から「田原俊彦」「田原」「トシ」という文字を拾っていた。
これはある種の特殊技能なのだ。もし拾う対象が「小柳ルミ子」「ルミ子」「ルミ子&賢也」「大澄賢也」だとしたら、見落としが多数あったと思う。
『TVガイド』や『ザテレビジョン』で何となくの出演数を把握した後は、1月1日から12月31日まで新聞の縮刷版をひたすら見た。雑誌は早めに作るから、情報が合っていない場合も間々ある。だから、365日(88年は閏年のため366日)全てに目を通さなければならないのである。
自分で1月1日から12月31日のテレビ欄全てを見た経験は、間違いなく血となり肉となった。この作業が、本の一行一行の濃密さに繋がった。
最終的には82年、88年〜96年、計10年分の出演番組表を作ることにした。
どのくらいトシちゃんがテレビに出ていて、いつからあまり出なくなったのか。その原因は、何か知りたかったからだ。
本数や原因は、ぜひ本を読んでみてほしい。ジャニーズ事務所独立やビッグ発言という2つの要因だけでは決して現せないとわかるはずだ。
出演本数をいくら調べても、人間だから見落としはあるだろう。
新聞と雑誌だけでは足りないし、詳しい番組内容も書けない。
そこで、私は何とか当時のVTRを手に入れられないかと模索した――。
(つづく)
9/16(日) 15時~ 下北沢本屋B&Bトークイベント
木野正人×岡野誠「1988年〜89年のジャニーズ事務所とテレビ界の変動」
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