8月29日(土) 飛行機は、アラブの上空を飛行していました。遠く地平線に太陽が落ちていき、やがて夕闇が訪れ、日は沈んでいきました。この飛行機がドバイ国際空港に着陸し、飛行機を乗り換えて、再び飛び立てば、本当この旅も終わりです。 ◇ カッパドキアが見たいからという単純な理由でトルコ行きを決めた。善は急げ!新聞の折り込みで激安ツアーを発見し、すぐに申し込んだのがもう出発の2週間くらい前。それからは、準備に追われ、とりあえず着替えといくらかのお金、カメラだけをスー
8月28日(金) 遂にこのトルコ旅行も最終日を迎えました。この数日間のバスの移動距離では、深夜特急にも負けないくらい走りました。東へ西へ。そして再び、イスタンブールへと戻ってきたのです。 ◇ イスタンブールは、ボスポラス海峡を挟んで、ヨーロッパ側とアジア側に分かれます。そしてさらにヨーロッパ側は、金角湾で新市街と旧市街とに分かれています。ボスポラス海峡には、ボスポラス大橋とメフメット大橋という2つの吊り橋が、金角湾にはガラタ橋という橋が架かっており、それぞれ
8月27日(木) アンカラからイスタンブールの列車が事故で26人が死傷。そのことを知ったのは、次の日のトルコの新聞を見たときでした。トルコ語なんて当然読めないけれども、写真と見出しだけで、そうらしいことは分かりました。 イスタンブールのホテルに着いたのは、23時を過ぎていました。ずいぶん遅いチェックインでしたが、しかし今日到着予定のお客さんでまだ来ていない人がいる、そうゆうことをホテルのマネージャーが言っていました。 アンカラ発の列車でイスタンブールへ向かうプラン
8月26日(水) そしてトルコと言えば!その時間がやってきました。カッパドキア地方の丘の中腹に、ぽつんと一軒だけ建つトルコ絨毯の店!いかにも怪しげじゃないですか!入り口がばたんと開き、ようこそ!と迎え入れられる。 まず第1の部屋では、織り子さんを前に、トルコ絨毯の折り方の説明です。絨毯と言えばペルシャ絨毯が有名ですが、ペルシャのは1回結ぶだけの一重織り、トルコのは2回結んだ二重織り、だからほどけない、猫が引っ掻いても大丈夫という。この二重の結び目を造りながら織ってゆく
8月26日(水) 大地にニョッキり生える巨大なキノコ岩、三角の奇岩の中に残された幾つものキリスト教壁画、地下何十mにも及ぶ地下都市、カッパドキアは様々な不思議な顔を持ち、この旅の最大の目的地。僕はただ、雄大で、奇妙なカッパドキアの景観に、ただただ口を開けて見とれるばかりでした。 ◇ 中部アナトリア高原のアヴィノスの街の朝はひんやりと、半袖では少し肌寒いくらい。標高は1000mを越え、その分、日差しは強く差し付けます。パンとヨーグルト、フレークの朝食を済ませ、
8月24日(月) 幾重にも重なる白い段々畑は、真夏に訪れた冬景色。そこにエメラルドブルーの温泉水が流れ落ちる様子は、本当に神秘的です。この旅のハイライトの一つ、世界遺産パムッカレの石灰棚です。これは、台地上部から湧き出る石灰成分を含む温泉水が、長い年月をかけて結晶し、台地全体を覆って出来たもので、遠くから見ると、真っ白い雪山のようでした。 ◇ パムッカレに向かうドライブインで、トルコのお菓子ロクムを食べました。これは一口サイズの四角い甘いお菓子で、ナッツやアー
8月24日(月) 古代ローマ時代、数々の芸術が生まれ、人々は人生を謳歌していたといいます。プラトンやアレクサンダーダー大王、クレオパトラも訪れたというエフィスの街。地震や異民族の侵入、破壊によって多くの建物は崩れ、柱や門だけが残るのみですが、古代ローマの雰囲気を今に伝えます。 ◇ 7時半のバス出発に合わせ起きたのは6時。4時間の睡眠でしたが、興奮していたのかすぐに目が覚めました。ホテルのレストランで、パンとチーズとスープだけの簡単な朝食を済ませ、まずはエフィ
8月23日(日) アラブの砂漠、褐色の大地を越え、B777はトルコ上空を飛行していました。エメラルドブルーの湖、転々と広がるオリーブ畑、そしてアルマラ海へと抜けるとイスタンブールはもう間近です。大きく右旋回をしてイスタンブールのヨーロッパ側、アタテュルク国際空港に無事ランディング。タラップを降りると、強い日差しにさわやかな風に、地中海気候の香りを感じました。 トルコ時間15:20、入国審査を終えると、今回のトルコでのガイドが出迎えてくれました。彼の名前はギョクセル。大
8月22日(土) アジアの極東の島国から、東洋と西洋が出会う最西の国に辿り着いて、ようやく眠りについたとき、日本を出発してから32時間が経過していました。2日ぶりのシャワーを浴びてベッドに倒れ込むと、旅先での感慨に浸る間もなく、夢の中でした。 ◇ 24時間眠らない関西国際空港から、23:30、エミレーツ航空317便は、アラブ首長国連邦・ドバイ国際空港へ向けて飛び立ちました。聞こえてくるのは、僕が旅に出る理由を100個くらい並べたあの曲。2年ぶりの日本脱出に、
8月22日(土) 24時間眠らない空港から、24時間かけて、僕はトルコ・イスタンブールへと旅立ちます。東洋と西洋が出会う、魅惑の街です。 エミレーツ航空317便は、まずはアラブ・ドバイへと向かいます。金と欲望と富が渦巻く、砂漠の蜃気楼。 定刻より10分早く出発予定。それではみなさん、ごきげんよう! #わたしの旅行記
1月19日(金) 気がつくとそこは九州上空、綺麗な朝焼けが窓の外に見えます。テイクオフの前に眠りに落ち、5時間近く深い眠りの中でした。機内食を食べ終えると、じきにTG644便は中部国際空港にランディング、この旅も本当に終りです。頭の中でエンドロールが流れる中、静かにこの旅を振り返ります。 ◇ この旅に出るまで、カンボジアという国についての知識は、アンコール・ワットと地雷の国という漠然としたものでした。そしてこの旅に出たのも、世界遺産が見たいというミー
とうとうこの旅も最終日を迎えました。今日はバンコク市内の王宮エリアを探索します。黄金の仏塔とエメラルド寺院が綺麗な王宮。チャオプラヤ川を渡し船で渡り対岸へ。三島由紀夫の「暁の寺」の舞台となったワット・アルン(暁の寺院)、そして「リクライニング・ブッタ」と呼ばれる光り輝く釈迦仏が横たわるバンコク1大きな境内をもつお寺、ワット・ポーを巡ります。 ◇ 前日に最終日の過ごし方を検討した結果、ガイドをお願いしてバンコク市内を巡ることにしました。バンコクは朝から太陽が容
1月17日(水) バンコクの朝は騒がしく、交通渋滞が始まっています。今日は一日アユタヤ遺跡へ。チャオプラヤ川を船でさかのぼります。黄色の水に巨大なナマズが飛び跳ね、水際には水上生活をする人々、3時間半かけてアユタヤに到着です。 バーン・パイン宮殿、日本人町跡、ワット・マハータート、ワット・プラーシーサンペットとアユタヤの遺跡をめぐり、最後に像に乗ってお散歩。バンコクに戻りタイスキに舌鼓をうち、夜の街へ。 ◇ チャオプラヤ川の黄色は土の色、水際生活をす
1月16日(火) カンボジア最終日は夕方の飛行機出発までフリー。トゥクトゥクをチャーターし、まだ行っていない小さな遺跡を回ります。プリア・カンやタ・ケウ、バンティアイ・クディ、どれも魅力的な遺跡。観光客も少なく静かな時間が流れ、悠久の歴史を感じさせるのです。あっという間に時は過ぎ、まだまだ数えたらきりがない遺跡たち、しかし出発の時間が迫ってきます。ガイドをしてくれたソーさん、運転手の兄ちゃんに別れを告げ空港内に入ります。 バンコク・エアウェイズ914便、フォッカー7
1月15日(月) 夜明け前、アンコール・ワットの前庭はサンライズを見ようとする人でごった返しています。赤く染まる東の空からやがて日が昇ってきます。古代から幾度となく繰り返されるこの一日の始まりは、優しい光でシェムリアップの街を包み込みます。 ◇ 5:50、夜明け前の街を走り、アンコール・ワットへと向かいました。薄暗い中、環濠をわたる石橋を進み西門をくぐると、すでに多くの人が日の出を待ちわび腰をかけカメラを向けています。待つこと30分、徐々に赤く染まり始
1月14日(日) アンコール遺跡群の町、シェムリアップの朝は早く、しかし緩やかな時間が流れます。いよいよ遺跡巡りの始まりです。 バンテアイ・スレイは「女の砦」の意味を持つヒンドゥー教の寺院でアンコール・ワットの北東に位置します。アンコール・トムは「大きな町」の意味を持つアンコール王朝の都。外壁や回廊には様々な物語を語るようにレリーフが刻まれ、どれも興味深く、時間を忘れて眺めるのです。そしてアンコール遺跡群で一番標高が高いプノン・バケンの丘からアンコール遺跡を一望、そこ