2009 旅 空飛ぶ絨毯
8月26日(水)
そしてトルコと言えば!その時間がやってきました。カッパドキア地方の丘の中腹に、ぽつんと一軒だけ建つトルコ絨毯の店!いかにも怪しげじゃないですか!入り口がばたんと開き、ようこそ!と迎え入れられる。
まず第1の部屋では、織り子さんを前に、トルコ絨毯の折り方の説明です。絨毯と言えばペルシャ絨毯が有名ですが、ペルシャのは1回結ぶだけの一重織り、トルコのは2回結んだ二重織り、だからほどけない、猫が引っ掻いても大丈夫という。この二重の結び目を造りながら織ってゆく。裏返すとこの結び目がびっしり。目が細かく詰まっていればそれだけ手間がかかり高級ということになる。最高級のヘレケと呼ばれるものは、1cm×1cmに625の結び目があるらしい。
素材は綿、綿ウール、絹の3種類。綿は綿畑から綿花を採ってきて、ウールは近くの牧場の羊の毛から採ってきて、そのまま自分のてで紡げますが、絹はそうはいきません!さぁどうぞ!と第2の部屋へ。そこでは繭をゆでて、そこから糸を紡いでいく様子の実演。こうして手間がかかるから絹製は高級ということになる。
それではいよいよ製品を見てもらいましょう!と第3の部屋へ。そしてなぜかここで飲み物のサービス。ビールにカッパドキアのワインがお勧めです!「おー、でたでた!」アルコールを飲ませて気を大きくさせる、常套手段です。しょうがないので白ワインをもらうと、グラスになみなみ注がれてきました。その手には乗るまいと口をつけただけでイスの下へ。大して美味しくもないし。
そしていよいよ、折から色の特徴を言葉巧みに説明しながら、部屋一杯に次々と絨毯が広げられていきます。小さなものはくるくると空を飛んで、大きなものはじゃらーんと丸まったものを広げられ。それまでは2~3人しかお店の人がいなかったのが、いつのまにかお客1人に対して1人がついて売り込んできます。で、いくらですか?と聞くと、2畳程の最高級ヘレケ絨毯がなんと50万!それは無理っす!とゆうと徐々に値段を下げ始める。いやいや、全然無理ですから!じゃぁ、といって出してきたのが毛織りの玄関マット、7万だって。
それでも相場を知っている人たちが、その値段まで値引きしてもらい、次々と交渉が成立していく。その度にわき起こる拍手。買った人は鼻高々。本当に聞いた道りの手口で、笑えてきました。当然、ガイド(地元ツアー会社)と絨毯屋側はグルで、こんなところに長い時間拘束されてうんざりしましたが、まぁ、ツアーなのでしょうがないです。
ようやく店を出て洞窟レストランへ。また素焼きのマスに焼きプリン。ちょっと飽きている。ビールだけは変わらずうまいのだけれど。午後からはカイマルクの地下都市を訪れました。この地下都市の存在は、紀元前400年頃の記録にも残されていると言います。アラブから逃れてきたキリスト教徒が住んでいたとされていますが、その発症や歴史は依然として謎に包まれており、教会や寝室、学校、食料庫や井戸の跡などは残っているのですが、いったいこの地下でどうやって何万もの人が生活していたというのか?地下何十メートルまで続く地下迷路は不思議がいっぱい。
太陽の当たらない細い通路、同じような穴が次々とあらわててくる、一度迷ったら二度と地上に戻れないと思いました。その先がどこまで繋がっているのか?他の場所で見つかっている地下都市のの関連は?その全貌は謎のままです。
次に向かったのは、トルコ石の店。また丘の上にぽつんと一軒だけあるお店。数千円のカジュアルなものがあればと思いましたが、まぁ、そうゆう店なのでそんなものはなく、すぐに店を出ました。
16時過ぎ、まだまだカッパドキアの見所を残したまま、今日の宿泊地である、トルコの首都アンカラへと向かいました。車窓から見えたローズバレーが、太陽を浴びてピンク色に光っていました。どこまでも続くなだらかな稜線を一つ越え二つ越え、アンカラに着いたのが20時過ぎ。アンカラの駅の中にあるレストランで地方へと発車していく列車を眺めながら夕食をとりました。
ホテルに着いたのが22時、テレビを付けるとブンデスリーガ。ここトルコはドイツとの繋がりが強く、欧州で最も大きいメルセデスの工場があったり、トルコを訪れる外国人も、ドイツ人が最も多いそうです。それを見ながら、友達に手紙を書きました。今頃は届いているでしょうか?明日はいよいよ、イスタンブールを目指します。