感情を否定されたくない。
先日買って読んでる本。
タイトルに惹かれすぎた。
寝子さん著
「親がしんどい」を解きほぐす
…金言の宝庫です。
まるで、よく当たる占いの本でも読んでる気分。
「なんで?なんでわたしがどういう風に感じてたか分かるの?」の連続。
これ、所謂「健全なアタッチメント」が両親と形成されている人が読んだら、どんな感想になるんだろう?という興味もある。
この本に書いてあることが一切身に覚えがなくよく分からないって人がいるとすれば…羨ましい……。
そして、この本をきっかけに寝子さんのTwitter(Xとは頑なに言いたくない)もフォローさせてもらった。
日々のツイートがこれまた「わたしのことやん」案件すぎる。
⇧これとか、まんまわたしで「ウッ…」ってなる反面、ほんますごいなと「フッ…」って笑ってしまうほど。
しかし、こういうふうに育った人が相当数いるのだなとも取れる。
わたしの場合、感情を認めてもらえない環境下っていうのは自覚しやすい状況なんだけど、
その後の「気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。」は、寝子さんの本を読むまで自覚できてない状況だった。
わたしは特に、自分ではコントロールできないことで嫌な気持ちになった時にこの「よく分からないモヤモヤが心を占めている」状態になる。
一番に表出する感情は「怒り&ぶちコ◯ス」なんだけど、その感情下に言語化できない複雑な気持ちが渦巻いてて涙が出てくるんだよな。
その原因が、感情を認めてもらえない体験からくるものなんだと齢三十七にして理解できました。
そして、ここ数年の人付き合いの中で気をつけていることは
「その人がどう感じているかを否定しない」
ということで、
何がきっかけでこういうふうに考え始めたかは覚えてないけど、きっと自分自身が感情を否定されることに強い嫌悪感を覚えるからが起源。
社会に出ると、感情的であることって欠点のように言われるけど、「ハァァァァァ?」である。
組織に属していると特に「自分の気持ちは二の次にしろ」みたいな場面にめっちゃ出くわす。
わしゃロボットちゃうぞ。
「わたしがどう思っているかを否定しないでほしい。」と上司に直接言ったこともある。
だって、感情って正解不正解、可否、良し悪し無いじゃん。なのに一元的に「感情的になるな」ってあまりにも雑すぎん?
まず、「対峙する人の感情を認めずに話し合いができますか?」というのがわたしの一貫した主張なんだけど、なかなか受け入れられないですねぇ特に男ばかりの組織は。笑
ただ、わたしの主張も生育歴のせいで極端になりがちという自覚もある。
だからトラウマケアをしなければ…って思い至ったんだけど。
感情を認めてもらえる経験を積んでいないから、感情を軽んじられるような言動への拒絶反応がすごい。
これ社会人として、しんどすぎる。笑
ゼロ100思考なんだよな、わたしみたいな人間って。
感情を認めてもらえるって、ありのままの自分を受け入れてもらえると同義だよね。
この経験があまりにも無さすぎた。
また支離滅裂な文を書いてしまった。
さぁ、新しいカウンセリングの予約のこと考えないとなぁ。