![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/172552385/rectangle_large_type_2_4b2961a0133ec9b41eb0f621c6e64a3c.jpeg?width=1200)
ビジョン 〜精神性〜
地域にある神社とお寺とは
不思議に思っていました。
なぜ地域には神社があるのか?
なぜ地域にはお寺があるのか?
お寺については、生活をしてみてわかりました。地域にとってお寺とは区役所のようなもの。人の生き死に。子どもの教育。刻を告げるもの。生活の中心にお寺がありました。
では神社は?
お米を作って分かったことは、稲作は地域の文化を担っていること、稲作は神事と共にある事です。要所要所で神事行事があり豊作を祈願します。田植えが終わればそれを神に感謝し祭を行います。財が出来れば神社に寄進を行います。毎年には地域の神社総代が寄付を募りお札を配って廻ります。
それは単に験を担ぐためだけなのか?
御利益を望み祈念するということは、
祈念する行為で精神的な安寧を得て終わりなのか?
その思うところはもうちょっと後で記述します。
田んぼの持つ力とは
今でも忘れられない出来事の一つにジョンの大怪我があります。ジョンと言うのは父が飼っていた犬の名前です。我が家の犬は全部ジョンなので何代目のジョンかは分かりませんが、黒いレトリーバーのジョンの事です。そのジョンが大怪我したときの事です。ヨロヨロしながら我が家の庭先に来て、庭に穴を掘り、土を剥きだしにし、その上に傷口が触れるように横たわりました。衝撃的な出来事で、傷口にばい菌が入ると思ってしまうところですが、土によって傷を治していたのです。本能的に。
「田んぼの土で泥パック」とかありますが、それどころか土には傷を癒やすパワーがあると教えてもらった出来事です。
次のエピソードは動的瞑想についてです。
よくトラクターの中で10時間以上過ごす事があります。もちろんブルートゥース対応のカーステで音楽を聴きながらです。作業をしながら音楽を聴きながら、この時によく瞑想状態に入る事があります。動的瞑想です。色々な問題に対して思いがけない良いアイデアが出てくる事があります。「これだ!」と思う事が。インスピレーションがどんどん湧いてくる状態です。これは田んぼの中、自然の真っ只中にいるという事が大きな要因の一つだと思っています。
つまり田んぼの持つ力とは、実益となるなにかのエネルギーに満ちているということになります。
稲作と神仏
田んぼには力がある。
稲作は神事と共にある。
なぜ人は神仏に寄進をしてきたのか?
昔の権力者は神社やお寺を建立まで行ってきた。それはなぜか?
それは、神仏の力の使い方を知っていたのだと思います。
田んぼには神が宿っていて、地域には産土の神がいて、それは絶対的な愛の力を持っている。絶えずそこにいるの人々を応援し、励まし、力を与え続けている。ただどこからかその力の使う術を忘れてしまい、今では迷信や暗示のように受け取ってしまっている、それが現代だと思います。
本来は神仏の力は使えるものだったはずです。だから文化の中心で莫大な財を寄進してきた。例えば、雨乞い。雨乞いは今では迷信の類いです。でも昔は本当に雨を降らせていたと思います。
どう使うのか?
多分、徳を積み、コミュニケーションを取る事だと思います。田んぼに入り土に触れる、自然の中に身を置く。そして問いかける。そうしたらインスピレーション受ける。急に目に入るテレビや本のフレーズ。予期せず耳に入る言葉。そこに回答があるのだと思います。もちろん滝に打たれ修行をし、霊験あらたかになれば直接に神の声が聞こえるかもしれません。昔の巫女などきっとそのような人だったと思います。
まとめ
昔の人は田んぼの力、神の力を理解して使っていたはずです。だから地域に一つ神社があり今もなお残っている。
今にもう一度その精神性を取り戻し、理解し、共にあるべきだと思います。
地域にある神社は昔、火事で焼失して、仮の社のまま今に至ります。神社の再建。途方もない夢ですが、夢の一つです。