「中継されなかったバグダッド」 山本美香
「戦場では身近なところに人の死があり、生がある。したたかでたくましく生きる人々の姿に一度触れてしまうとまた彼らに会いたくなってしまうのだ。それが私の原動力となり、再び戦地へと向かわせるのだろう。」
「中継されなかったバグダッド」 山本美香
2012年、シリアで亡くなったジャーナリスト・山本美香さんのイラクルポ。
2003年3月5日、イラク戦争反対の嵐が世界中に吹き荒れる中、私は日本を出発してヨルダンに向かった。
イラクのビザはなかったが、入国の可能性が1パーセントでもあるならそれに賭けたかった。
僕はなぜ山本美香さんが紛争地に訪れ、カメラ片手に取材し続けるのか? それを知りたくて、この本「中継されなかったバクダッド」と「戦争を取材する」を読みました。
山本さんはこの本のはじめの方で、こう語っています。
戦場では身近なところに人の死があり、生がある。
したたかでたくましく生きる人々の姿に一度触れてしまうとまた彼らに会いたくなってしまうのだ。
それが私の原動力となり、再び戦地へと向かわせるのだろう。
生と死が隣り合わせの仕事。
この2つの本を読んで僕は何と言っていいのか、愕然とするほどの衝撃を受けました。
日本にいて本を読むだけではわからないと思いますが、想像を絶するほどの苛酷な現状がその国(紛争地)にありました。
こんなことが現実に起こっていいのだろうか?
戦争はどんな理由があっても起こしてはいけないし、簡単に『戦争』という言葉も使ってはいけないような、そんな緊迫した感想を持ちました。
誰もが逃げたくなるような紛争地。山本さんご自身、とても恐ろしかったに違いない。
山本さんが本当に言いたかったことは、何だったのか? ということを想像しながらこの本を読み、このように考えました。
今、現実に起こっているこの事実を、世界中の人々に少しでも知ってもらいたい。
そして
それらを知ってもらうことによって、“平和への一歩” を歩み始めることができるんだと。
何もやらなければ、この悲惨な現状を悪化させるだけ。
少しでも現状より良くなるように、また、紛争地にいる一般市民や女性や子どもたちなどの弱い立場の人たちが一番被害を受けている現状を、ジャーナリストとして立ち会った以上、その責任として、使命として、山本さんは伝え続けなければいけないと感じていたのではないのでしょうか?
この本は、イラク空爆時の生々しい状況が活字になっています。
まるで空爆されているバグダッドに居て、張り詰めた空気の中で読んでいるような気持ちになりました。
それは、突然始まった。ドカーン ドカーンと遠くで音がした。何だろう。
(中略)
爆弾が落ちている。音をたてて、炎を上げて落ちている。自分の目を疑った。武力行使の最後の通告は脅しではなかった。期限切れからわずか一時間半。アメリカはとうとう戦争を始めてしまった。
山本さんは空爆が始まって、この戦争の無意味さに怒りを感じます。
今、戦争を始めて何が得られるの?
あれだけの反戦世論を無視して、国連安全保障理事会で採択にもいたらず、国連の声も聞かなかった。
武力あるものだけが世界のリーダーとなって、気に入らないと思えば攻撃する。アフガニスタンで攻撃したのはアルカイダとイスラム原理主義組織「タリバン」を倒すためだった。
しかし、今回の相手は一国家である。これでは、国連も安保理もいらないじゃないか。何のために時間を割いて話し合ってきたのか。査察活動をしてきたのか。すべてが水の泡に思え虚しかった。
この本の中で、“戦争はどんな理由があっても絶対にやってはいけない”と考えさせられた記事が3つありました。
1.「命はあっけなく奪われる」
夕方の6時ごろ、買い物で賑わっていた商店街にミサイルが落とされました。一般市民が巻き込まれ、その悲惨な状況が語られています。
ミサイルは、爆弾は、ただ普通に生活していた人々の上に落ちた。ただイラク人だったというだけで死ななければならなかった人たち。あまりにも無念だ。
2.「米兵捕虜の目」
捕虜となった米兵のことが書かれています。イラク国営テレビで米兵捕虜の映像が流されました。アメリカでは放映されなかったようです。その映像を見て、山本さんが語っています。
目が、目がおびえている。見開いた目の焦点があっていない。あまりの恐怖に耐え切れなくなっているのだろう。「わぁ、ひどすぎる」 画面に向かってしゃべってしまった。
(中略)
見た人は、遠い地で起きている戦争の悲惨さに酷さに心を震わせるだろう。
3.「ジャーナリストが狙われた日」
各国のジャーナリストが取材で世界中に記事を発信していた拠点、パレスチナホテル。ここがアメリカ軍によって攻撃されました。
この場面は、NHKで放送された映像でも見ました。
山本さんの隣の部屋、ロイター通信が被害を受けました。山本さんもパニック状態。
仰向けにされたカメラマンのお腹は、ぱっくりと開いていた。中からは内臓が飛び出しもうどうにもならない状態でした。
「無理だ。ひどすぎる」ボスの声が沈んでいた。
「だめだ。、もう映さない」私は泣きながら叫んだ。目の前で無残な姿で死に行くカメラマンを見て冷静になどなっていられなかった。
もうだめだ。あんなにひどければだめだ。誰がやったんだ。誰がここを攻撃したんだ。激しい怒りが込み上げてきた。
このあと山本さんは、ジャーナリストとして葛藤に苦しみます。
1人の人間としてなのか、ジャーナリストとしてこの状況を記録するべきなのか。
私もできることなら片手で撮影して、もう一方の手で助けたい。そんな気持ちだった。
しかし、実際には体は一つしかなく、両方同時にすることなどできなかった。それで咄嗟にカメラを放り出してしまった。
ジャーナリストとしてはこれでよかったのかわからない。自分の力のなさがもどかしく、悔しかった。
山本さんはジャーナリストとしてではなく、1人の人間として行動しました。
僕はこれで良かったんじゃないかと思いました。
こんなギリギリの状況じゃ、何もできなく立ちすくんでしまいます。
こんな時、人を助けることができる人間だからこそ、血の通った記事を発信できる。
NHKのテレビで、山本さんは怒りと悲しみに打ち震えていました。
「ちくしょう・・・ちくしょう・・・」と言いながら。
僕は山本さんのこの表情を見て、やはりこう言いたかったんだと感じました。
戦争は絶対にどんな理由でも、あってはならない!
戦争に正義などない!
山本美香さんに、生きていてほしかった。
そして
こんな素晴らしい日本人女性がいたことを誇りに思いました。
【出典】
「中継されなかったバグダッド」 山本美香 小学館