「しあわせ白書 人生を豊かにする39のセオリー」 高見純代
「幸せに生きるとは、自分がどれだけの人を幸せにできたかという事にこそ、真実があると言う事を。」
「しあわせ白書 人生を豊かにする39のセオリー」 高見純代
「高見純代さんの文体から滲み出るような純真なやさしさは何なんだろう?」そう思いながら、第1章を読みました。
それは
病気との闘いの連続から滲み出てきたものではないかと。
文字からも伝わってきますが、現実はどれほどの辛いものだったか。
僕はガンが再発して入院したことがあり、病気の辛さは本当に精神力ではどうにもならないことがあるのだと、そのとき痛感しました。なので、子どもの頃から、ずっと病気と闘ってきた高見さんの気持ちはいかばかりかと。
高見さんは、書かれています。
病気になると、毎日気持ちが寄せては返す波のように行ったり来たりします。シーソーのように上に上がったり下に下がったりします。朝、目覚めると「生きている」と感じて安堵した刹那、「生きているけど、ガンなんだ」ってジェットコースターのように気持ちが急降下するのです。
治るという出口が見えなくて、今もその影に脅えることがよくあります。
僕は本に救いを求めました。必ず生きる道があると。
すると
100%完治しなくても、ガンとともに生きていく道があると。僕は書かれていたことを試しながら、入院の日まで自分の信じる術(すべ)を続けました。
入院してからは、抗癌剤と放射線治療を行いました。かなり治療は苦しかったのですが、中間の検査でガン細胞の半分以上がCT画像で見るかぎり、なくなっていました。予定していた治療を終えて、退院してから僕は先生に治療の詳細を訊ねました。
「治療は抜群に効きました。ある程度は予想してましたが、こんなに効果があるとは予想できませんでした。ガンはなくなってますね。」と先生は言いました。
医学はすごいとは思いましたが、僕は本を読んで自分なりにやってきたことも、その一端ではなかったかと密かに思っています。
どんな些細な事でも行動し、それを希望につなげることがとても大事だということをそのときに実感しました。高見純代さんのこの本にもそのことが書かれています。
高見さんは、いろんな病気からガンになり、死を覚悟したことがあったといいます。
しかし
気持ちは揺れ動きます。高見さんはふらっと部屋を出て、何の目的もなくビジネスホテルにチェックインし、部屋に入りました。
そして
カミソリを持ってきて鏡台の椅子に腰かけ、左の手首を見たといいます。
ふと高見さんは鏡台の引き出しを開けました。仏典が入っていました。仏典をめくり読みはじめました。法句経です。涙が流れました。高見さんは我に返りました。
そこで高見さんの気持ちが変わったのです。覚悟が定まったのです。
そして
高見さんは、大好きな花に生きがいを見出します。
大学時代にクラブ活動で習っていた華道をもう一度習いました。仏教の教えを根底に持っている嵯峨御流とのご縁です。
花、植物、自然の美しさと力、また儚さに無償の愛を感じ、高見さんの心は平安を取り戻しました。
この言葉の他にも、人生を豊かにする言葉がありました。本当にたくさんあったのですが、とくに僕の中に留めておきたい言葉を3つだけここに引用させていただきたいと思います。
これらの言葉は自分の中にしまっておいて、いつでも引き出したい言葉になりました。どんなことがあっても絶対にあきらめないこと。苦しいとき、辛い時はありのままの自分を認めて、無理に頑張らないこと。そして、人と感謝をわかちあうこと。
高見純代さんのいう「幸せに生きる」とは、人が喜び、幸せを分け与えていると、自分も幸せになれるのだということ。人は自分だけを幸せにしようとしても、決して幸せにはなれないんだということ。
この本にある高見さんの言葉はやさしくて、さらさらと流れていて、それはまさしく高見純代さんの〝祈り〟であると感得しました。
なんども「あきらめないで」と書かれています。苦しくてもあきらめないで歩いてきた高見さんだからこそ、苦しみを乗り越えたあとに湧き上がってきた「謝を感ずる心」が幸せにつながることを、私たちにそっと語りかけてくれています。
そして
この言葉が、高見純代さんから滲み出てきた〝生きる〟ということの真髄なのです。
【出典】
「しあわせ白書 人生を豊かにする39のセオリー」 高見純代 幻冬舎