「天井裏」 村上春樹 安西水丸 絵 「夜のくもざる」より
「いいえ、なおみちゃんはちゃんとそこにいます。あなたにはその姿が見えないだけなんです。私にはわかります」
「天井裏」 村上春樹 安西水丸 絵 「夜のくもざる」より
仕事の帰り道、車で山道を走っていました。
なだらかな坂道を下り、ゆるやかなカーブを右に折れ、曲がりきると今度はハンドルを左にきりました。
しばらくそのようにハンドル操作を繰り返しながら、暗い夜道を下って行きました。
何台も連なる赤いテールランプが車内を赤く染めながら、いつしか素敵なJAZZがカーラジオから流れてきました。
番組は「村上RADIO」。
村上春樹さんがDJを務める番組で、その日は公開収録。JAZZの演奏や、村上春樹さんご自身による朗読がありました。
JAZZの演奏が終わり、良い雰囲気の余韻が夜風とともに素敵な移動空間を演出していました。
村上春樹さんが、その素敵な空間の中で語ります。
この間、何を読もうかなと思って「夜のくもざる」という本を読み返していたら、半分くらい何も覚えてなくて。
「こんなもん書いたっけな?」というのがいくつかあったんですけど、その中の1つ。書いた覚えが全くないんですけど「天井裏」という話です。
僕はこの本を持っていなくて、ラジオから流れてくる春樹さんの朗読を聴くのがはじめてでした。
いつもは文字を目で見て物語を味わうのですが、耳から入ってくる物語はまた違った感覚でした。ご本人によるものも大きいとは思うのですが、とてつもなく臨場感がありました。
とてもとても短いお話でしたが、何故か妙に心にひっかかりました。後日、 「夜のくもざる」を買いに本屋へ走りました。
不思議な物語でしたが、目で味わってもそのひっかかりはとれませんでした。
◇
天井裏に小人がいると妻が言い出したのは正月の元旦。
と妻は言いました。
気持ちよくテレビを見ながらビールを飲んでいた旦那は、不機嫌になりこう言いました。
「名前があって「なおみちゃん」っていうのです」と妻はこたえました。
旦那は懐中電灯を持って天井裏をのぞき、ぐるりと照らしましたが、小人はいませんでした。
と旦那は言いました。
しかし
妻は忘れませんでした。
何度も何度もしつこく、なおみちゃんの話を旦那にしました。
なおみちゃんは天井裏でいつも2人を観察していて、何でも知っていると妻は言いました。
旦那は気味が悪くなり、もう一度天井裏をのぞきにいきました。
そこには
たしかに「なおみちゃん」がいました。
なおみちゃんは身長12センチばかり、顔つきが妻そっくりで、身体は小さな犬のかっこうをしていました。
旦那はここでひるんではいけないと思い、なおみちゃんにこう言いました。
なおみちゃんは、旦那をじっと見ていました。
その目は氷のかたまりのように凍てついていました。
旦那は天井の板をもとに戻して降りてくると、そこはもう旦那の家ではありませんでした。
◇
なおみちゃんは奥さんの分身だったのでしょうね。なおみちゃんを否定することは、奥さんを否定することだったのでしょう。
奥さんは俯瞰して2人の生活を見ていたのかもしれません。天井裏からこっそりと。
僕も知らず知らずの間に妻が大切にしているものを、否定しているのかもしれないと、天井を見上げました。
幸い僕にはテレビもあり、冷蔵庫もあり、妻の姿も確認することができたので、「やれやれ」とほっとしました。
村上春樹さんはこう語っていました。
「なおみちゃん」て、なんだったんでしょうね。僕もねよくわからないんです。書いた本人ですけど・・・
でも、天井裏になおみちゃんがいると嫌ですよね(笑)
本当に僕もそう思います。
ありがとうございました。
【出典】
「天井裏」 村上春樹 安西水丸 絵 「夜のくもざる」より 新潮社
「村上RADIO 村上JAM」より TOKYO FM 2019.9.1放送