
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」 村上春樹
「彼女は僕に とっての100パーセントの女の子なのだ。」
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」村上春樹
この短編の既視感は、なんだろうと思っていました。
「カンガルー日和」におさめられた短編 「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて 」
久しぶりに読んでみますと、久しぶりに読んだからというわけではなく、忘れていた何かに出会ったという感覚に落ちました。
とても素敵な、とても惹かれる何かに。
気になったので調べてみると、この「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」は、村上春樹さんの長編小説「1Q84」の元になったとか。
それから、新海誠監督の「君の名は」も、この短編からインスパイアされたそうなんです。
四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女の子とすれ違う。
(中略)
しかし五十メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。 彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。
とてもなつかしい感じがする。
わけもわからないけど、強力な吸引力で惹きつけられる。
いつかどこかで出会ったような気がする。
泣きたくなるほどハート切ない気持ちになる。
溜息で埋め尽くされた気持ちになる。
そんな4月の晴れた朝にすれちがった100パーセントの女の子に、30分でも話をしてみたいと思っている 「僕」
「こんにちは。あなたは僕にとって100パーセントの女の子なんですよ」
いきなりそんなことを言われても驚かれる、あるいは、引かれるだけでありましょう。
そんなことを考えているうちに何歩か歩いてから振り返った時、彼女の姿は既に人混みの中に消えていた。
しかし
もちろん今では、その時彼女に向かってどんな風に話しかけるべきであったのか、僕にはちゃんとわかっている。
ここから「僕」の前世の記憶なのか、縦の糸なのか、横の糸なのか、強力な縁の糸を紡ぎだすお話がはじまります。
その科白が
その科白は「昔々」で始まり「悲しい話だと思いませんか」で終わる。
昔々、少年と少女がいました。
少年は十八歳で、少女は十六歳。
お互い、この世の中に100パーセント自分ピッタリの相手がいると信じていました。
ある日ふたりは街角でバッタリと出会い、互いに100パーセントを確認するのでした。
しかし
運命がふたりを翻弄します。
ある年の冬、二人はその年に流行った悪性のインフルエンザにかかり、何週間も生死の境をさまよった末に、昔の記憶をすっかり失くしてしまったのだ。
記憶をなくしたふたりはそのあと、75%の恋愛や、85%の恋愛を経験します。いつでもどこかに100%の君の姿をさがしながら。
そして
少年は32歳(少女は30歳)になり、4月のある晴れた朝、原宿の裏通りで100パーセントの少女を、50メートルも先からターゲットスコープするのですが……
ふたりは言葉を交わすこともなく、すれちがってしまいます。
悲しい話だと思いませんか。
そう切り出すべきであったと。
そう話しかけるべきであったと。
【出典】
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」 村上春樹 「カンガルー日和」より 講談社