熊本震災から2年経った今の現状
こんにちは。
『世界幸せ探検隊』旅人カップルの彼女の
たびもかです。
今日は熊本震災から2年が経った今の現状を
私達が旅をする中で実際に見に行ったので、
そのお話をしたいと思います。
太ちゃんが絶対に行きたいと思っていた
ある場所がありました。その場所
というのは 震災でも特に被害の大きかった町である 『御船町』という所です。
熊本震災が起こった2年前のお話
実は太ちゃんは震災があった2年前、
オーストラリアに住んでいたのですが、
自分に出来る事を何かしたいという想いで。
オーストラリアでいろんな
外国人の方を巻き込み、応援の段幕を作ったり
オーストラリアで募金を募っていたそうです。
そして、熊本震災が起こった日から5ヶ月後に
太ちゃんは日本へ一時帰国した。
オーストラリアで集めた支援金と段幕を持ってヒッチハイクで熊本へ行きました。
そして熊本の御船町という田舎のある
お家の瓦礫掃除をボランティアでお手伝いを
していました。
ボランティアで行ったお家はコチラ。
震災から5ヶ月経った後の状況です。
屋根にはブルーシートが被せてあり、
見るからに崩れているのが分かりますね。
このお家が今回見に行くと、
さら地になってしまっていました。
この状況を見て、太ちゃんはすごく悲しい
表情をしていました。
"震災で大きな被害を受けたご夫婦が2年経った今は元気で生活をされているのんだろうか。"
太ちゃんの純粋な気持ちを知ってた事もあり、
何もなくなってしまったさら地と2年前には
あったお家の写真を見比べて心が痛みました。
外からでは分かりにくかったかもしれないけど、中はこんな感じで壁に亀裂が入り、
天井も歪んでしまっています。
少しでも何か情報を聞きたく、
ご近所に住む方へ声をかけて周りました。
ご近所さん
『お家は残念ながら取り壊して今は別の町へ
引っ越しされたよ〜。』
太
『ご夫婦の方々はお元気にされていますか?』
ご近所さん
『元気よ〜!滅多に帰ってこないけど、たまに
帰ってこられますわよ〜。』
そうこう立ち話をしていると、
なんと偶然にもボランティアの時にも
お会いした奥さんが通りがかりました。
2年前にボランティアで来たことを
説明をすると、
『いやぁ、あの節は本当にお世話になり、ありがとうございました。恩返しをしなければいけないのに何も出来ずに..申し訳ないです。』
そんな風に話されていました。
2年経った今"あの時の記憶はあるのか⁈"
など、いろいろな震災に対するリアルを
聞かせて頂きました。
地震が起きてからの記憶はありますか?
A.
地震がきてからは、とにかく逃げて
逃げ切れたのですが、
床は割れた窓ガラスの破片などが大量に
落ちていて、、
でもその上をどのように逃げたのか。
思い出せないと。
そんな風に話されていました。
一番驚いたお話
近所の方が『逃げる際に怪我をして、
骨が折れたかもしれない。』
そんな風に言うので車で大きな病院へ
何個も回った。
地面が地震の影響で歪んでかなり
高い段差ができている道を無我夢中で、
"死ぬかもしれない"
という恐怖の中車を走らせたんです。
もう、どうやってして病院に行ったかも覚えてなくて本当にひたすら無我夢中になって、
必死で運転をしていました。
お話を聞かせて頂いて
本当に地震って怖く恐ろしいモノなんだと
実際に経験した方のお話を聞いて感じました。
そして何より他人事と思わないというのは
すごく難しいことで、、
何故なら同じ経験をしていない人に
その人の気持ちが絶対に分かるはずは
ないと思うからです。
でも自分ごとに思える方法たった1っ。
あるなぁって思ったんです。
"まずは自分の目でリアルを見に行くこと。"
これがすごく大切なことなんだということに
気づかされました。
テレビの情報はほんの一部であって、
全てではないということ。
自分の目で知ること。心で感じること。
これからも大切にしていきたいなぁと
思います。
太ちゃんの想い
ボランティアで作業させてもらったご夫婦が、今は元気に暮らしておられ、奇跡的にもまた再会し、お話が出来て本当に良かった。
関西にいると、熊本地震がどこか遠くで起きた地震だと思ってしまうが、一度ボランティアで訪れた場所だったので、御船町のあのご夫婦はお元気かな?と、身内の事のように思えた。
今回、2年経ったけど、まだまだ暮らしの再建が不十分であったり、熊本城をはじめ、これから先復興に向けて動き出す所だったり
まだ、復興への道筋が遠く、これからも何年もかかりそうだと感じました。
これからも、僕の出来ることで、熊本の復興を応援していきたいと思います。
まずは、皆さん、熊本本当に素敵な所です。
ぜひ遊びに行ってみて下さい。
世界幸せ探検隊 たびもか&だいご